見出し画像

コップンカー

詩聖であって詩聖でないもの。
花粉の季節が終わったら波乗りの季節がくる。

 イベリコ豚食べてみたい。
 すごく太るかすごく痩せるかしたら、旅行に行った気分のような浮遊感を味わえるのだろうか。
ただ一つの身体でもって、それが変容するさなかを味わうことでどこかに“行く”?
 自分の内側と外側は本当に無いから、感覚の話でもいいし、でもすごく太ったりすごく痩せたら感覚以上に外部との関わり方が物理的にも意識としても変容するのだろうから、きっとそれは旅であり得る。打算はダサいが、根深い執念は必要。大丈蕪村(*^ω^*)

 愛するのは雨みたいだ規則的で、不規則で、そこかしこにあり、誰もかも濡れる、靴が濡れる、傘ツール傘道具がコンビニにも売っている。
 でもな何かと何かが似ていると感じることってそれ自体は面白いけどことばにすると途端に陳腐になる恥ずかしくなってきた、、外で、雨が降ってて、だから考えただけなのにな。こういうことは、だから、誰かに話すよりメモに書いておくほうがいい。

 撮影のあとレストランでだらだら喋りながら4時間もチェーンスモーキングしたあと外に出たら土砂降り、湿気のせいで咳が止まらなくなってゲホゲホがほぼオエッゲロ吐くかと思ったら友達が龍角散ダイレクト。
をくれて、咳のリズムで上半身が激しく前後収縮しまくる私のために包装をびりっと開けたのを差し出してくれて嬉しかった。美味しくなかった。



 レンピッカの伝記を読んでみたけど、あまりに劇的すぎて、本当なんだか嘘なんだかよく分からなくなった。なんでも自分を“魅せる”ことが得意な人だったようだ。彼女の緑色の絵ずっと昔からなぜかずっと好きだ。




 毛並みの確認、洗顔、十字を切る動作音



 ずっと昔に手放したと思っていたトートバッグをお母さんが使ってた。


 立ち漕ぎでお散歩。自転車に乗ったら咳がいっぱい出て白目剥きそうになった。そのまま急降下で坂を下る。車道は車でいっぱい、私は影の中をどうにか、どうにか、どうにか、とおもいくちにしながら自転車を漕いだ。
 最近は、お腹がすいて、何か食べるとすぐお腹いっぱいにそこまでなってしまった。上手く話せない。上手く話せたらいいなと思う。上手く話せているときは、上手く話せてるななんて思わないから、結果的に、上手く話せないぜ、と思った時の記憶ばっかり残る。なんだってそうかもしれない。わりと実はみんないろいろなことを本当は、けっこうに上手くやれているのかもしれない。


 また喉風邪をひどく長引いて、最近喉風邪を治したべつの友達が、あまっている咳止めトローチをたくさんくれた。懐かしい味、少し美味しいと思った。
 3日かけて6錠舐めた。
 でも、すぐ噛んじゃって、最後まで舐めきれない。あと1年ぐらいかけて残りの6錠舐めたい。



 MacBookのカメラの中に、昔の自分が撮った動画がいくつも残ってた。ビデオレターごっこだ、と思った。思った。

 (╹◡╹)

霧散してみる、、、


今日は




春菊の












蕎麦














食べたー!






全然 連絡が取ってない友達のこと考えた。どうやっておしゃべりしていたかもう忘れちゃった。すごく眠いのに、街をたくさん歩いて、2人はクソガキみたいなカッコウだったけど、いい洋服屋さんとかをみて回ってた。そういう遊び方が好きだった。今も好き。眉毛が好きだった。


 二十歳すぎてやっとわかったけど、卵の、熱で固まった白身を食べると気持ち悪くなる。



 歩いてるのにべしゃってならない人がすごいと思った。
 どうして、、


こんなにすぐにべしゃべしゃになりそうな
街なのに
空気なのに
人混みなのに
つるつるして転びそうな床ばっかりなのに
上手く歩けるんだろう
皆が肌があって、、皆が足がついてて、、皆に言葉が持ち運ばれてる、、、そんなので
テレビとかついてるのにさ、、
さらさら、、
さらさら、、
さらさら、、

お母さん誕生日おめでとう
思い出すの遅かったけどプレゼント買ったよー
もうちょっと頑張るからもうちょっと
もうちょっと待っててね

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?