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占い

手相占いというものを、したことがないんだけど、してみたい気持ちになっている。横浜にたくさんあるやつ。出会ったばかりの知らない人と、2人で入っていって、ちゃっかり相性占いとかしてもらいたい。最近は、見惚れると、看取れるという言葉が似すぎていることにうっかり気づき、ひとりでにドギマギしていた。みなさんお元気ですか?


風が吹いて飛行機が飛んでる音がする。
耳鳴りはあまり信じなくていいと思った。ノイズキャンセラーを起こせるガジェットを、私は持ってない。


〇〇しなければならない、みたいな強迫観念が昔から時々来るんだけど、これは一体なんなんだろう。
本当に小さなことで、これを動かさなきゃいけないとか、これを二度と見てはいけない、とか、そういうのが来る。
いちばん多いのは、「これをする間息を止めないといけない」っていうやつ。
そうしないと死ぬ、とまではいかないけど、そうしないといけない、と強く思う。そういう思いが来る。
テキストを1文字だけ打ち損じた時に、文節ごと、あるいは単語ごとデリートしなければならない、というのもある。例えば「走っていた」を「走っている」に打ち直したい時は、「た」だけ消すのではなく「いる」ごと消さないといけない。「い」は元々「た」のための「い」であったので、片方を消すのなら両者同時に消して全く新しい「る」のための「い」を生成しなければならない。この、キーボード打ち込みの美学(?)については、とても長い話になるので、いずれ書こうと思う。



3月ごろにNHKで国内放送されるローザンヌ国際バレエコンクールを毎年観ているんだけど、一人暮らしが始まってから今年は見損なってしまった。
だからYouTubeでちまちま観る。
私はクラシックバレエよりもコンテンポラリーの方が好きで、数分のパフォーマンスの中を楽しみにしている。
形式は、振り付けが予め決められた課題曲が複数あるなかで出場者が一つ選ぶ。
当たり前だけども、同じ振り付けでも人によってかなり差がある。
そして拍手も異なる。
終わった瞬間にパチパチという拍手もあれば、
演技が終わる前に観客が待ちきれずにブワっと大きな拍手が湧くこともある。
あまりに素晴らしければ、ブラボー!と声がきこえることもある。口笛さえも吹かれる。

私がいつまでも衝撃だったのは、
2016年のこれ。

すごすぎる

同じ課題曲を演っている他の人たちと比べるとその差が歴然としている。
振り付けの解釈がピカイチ。
表情は恐ろしく、どこか悲しげで、四肢はもちろん露わな背中など、肉体の緊張と緩和、そのバランス感覚がものがたる。
うでを体に巻きつける柔らかなスピード感。、その直後の膠着した関節が悲しい。
うまく言葉にできない。




お気に入りのネックレス無くしてしまった。
はずした記憶はなくて、つけようと思ったらもう部屋のどこにもなかった。きっと昨日どこかで落とした。

そのまま出かけて、1日過ごして、夜帰ってきて、呆然として立っていた。なんとなく口から「ネックレス無くしちゃったよー」と声が出た。ベッドに向かって言った。そこには私の友達ーぬいぐるみが横たわっていた。彼らはなにも答えないと思った。答えないと思った。
でも彼らに綿が敷き詰められていることを私はまだ信じないでいる。


もう二度と新しいアクセサリー、買うものか。と思った。
でも、その週、ピアスを買ってもらった。四角いアメシストが嵌め込まれて自由に紫色の、金の小ぶりなピアスで、ありがとう、と言ってから、一度だけつけたけど、もうつけるのが怖いような気がした。海外で、高価な腕時計をしていた人が、手首ごと切り落とされて腕時計を盗まれた、という話をいつだか聞いたことがあった。例えば今後海外旅行にいったとして、治安が悪い路地を、女一人で歩いていたら、私がもし耳ごと、切り落とされたら、耳も宝石も失う。経験談としては、どんな痛みであろうと、少し自慢げに話すだろうけど。


晴れているので、空腹のまま公園を散歩して、講談社文芸文庫って置いてないですか?と訊いたら、多分あんまり無いんじゃないかなあ、とおじいさんが言いながら案内してくれたところに2冊だけあった。


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