Takahiro Horii
人が書いた記事を集める。
ネタの蓄積を目的とする
何か書く。sfのような、哲学もどきのような、だらだら解説するようななにかとか。
読んだ本の要約、疑問、展開を書く。
気付いたことをまとめる
自己紹介を忘れていた。特に意味のあることをしていないただの隠居である。理解することで満足して、飽きてまたどこかに行ってしまいがちな愚かな人である。実践は後回し、理論が先に来てしまう本当に使えない人である。 ここで何か意味のある事ができるとは思わないが何か書いていけたらと思う。
初めて記事にうんざりさせられるようなコメントが来た。笑ってしまった。人生の一部を使ってくれてありがとうとは言わなくてはいけない。
他人を弱者と定義するだけの余裕が日本人にはあるのだろうか?日本がなくても世界経済は機能する。相対的優位しか持たない個人を弱いと定義しても実りはない。
政治の話というより自己と世界との新たな契約の箱をどう描きだしていくかそれが問題なのではないか?
どこかで何かを踏み外したらしい。しかし前に進むしかない。存在のどうしようもない軽さはわかっていた。それが今日ふわりと残り香を振りまいただけだ。
長寿社会は福音か、ディストピアか。
喧嘩腰の人がいるのを初めて知った。snsは危険な存在がいる。私はまともなまま死にたいのでこういうのは避ける
他人の愚かしさに心をぶん殴られるという体験はいままでなかったんだ。多分そうだ。だからうまく対応できなかったんだ。そうに違いない。xは難しい
自称病みあかにそんなに死にたいなら、ちゃんと精神科に行ってカルテを作ってもらって診療事実を積み上げてからスイスで安楽死してみたらと言ったらxのアカウントをロックされた。人間は難しい
人間は多かれ少なかれプロセスの一部である。経営陣は資本主義を実行するための一部、首相は民主主義的統治の一部である。違いは責任の大きさと強制力の大小にすぎない。そこで自発性を発揮できるのがどのような死を実現するか。何を知るか。
敗者に自死を要求した時代は残酷とは思えない。自決は一瞬苦痛を伴うにしても様式にのっとっている。勝者にも死が訪れる。要請された死か自然死かの違いにすぎない。どちらも尊いものだ。勝者に見られた死のみを尊重するのはフェアではない。
x怖いな。少しのやらかしで非難される。一回無視する
権力勾配が面白い。ネットワーク理論と組み合わせるとさらに面白くなりそう
自然言語処理の知識で系統的にいろんな言語のパターンを把握していけば忘れない?
社会実験としての競争、自己の認知能力を試すための倫理学の実践、消費の自己最適化としての仏教経済学、抽象化の訓練としての統計学
積極的安楽死についての同人誌作るか。どのような過程で日本で実装できるのか。