ライブハウスという聖域

ちょっと暗い話になりますが、ご容赦ください。思うことが色々あって、文章にして気持ちを整理しようと思って、バーっと書きました。乱筆乱文にて失礼します。


バンドブームに生きられなかっただけでも充分辛いのに、ライブハウスが消えた時代を生きるなんて絶対に嫌だ。

ライブハウスでしか会えない人がたくさんいて、ライブハウスだけが私の生きられなかった時代との溝を埋めてくれる。タイムマシンのように、あの時代の空気で私を包んでくれる。
この時代に生まれて間違いじゃなかったって、心から思わせてくれる。
そんな大切な聖域が今、扉を閉ざしている。そうせざるを得なくなっている。

お風呂で一人でいるときに、ふとライブハウスが日常の一部だったつい数ヶ月前のことを思い出す。
ライブ当日、バッチリ決めた服装で、家を出る前にカバンの中のチケットを何回も確認して、それに気を取られてパスモを忘れてることに気づかなかったり。
駅でトイレ済ませてから、グーグルマップ開いてライブハウスに向かって、日が暮れかけてる街の灯の中で、帰路につく人の波に逆らって。
ライブハウスの近くで同じバンドのファンの人を見つけて、ちょっと安心したり、ドキドキしたり。
身支度整えて整番呼ばれるのを待って、いよいよ、チケットがもぎられる。
急で薄暗い階段を転ばないように降り、暗いフロアに出れば、そこは厚い壁で覆われた、現実世界からの防空壕。
定位置について、ステージ見上げて、始まるまで30分〜1時間の精神統一タイム。この時間が一番キツかったり。
そして、いよいよ客電が落ちる。
暗闇の中、浮き上がるステージ。歓声、体温、匂い、圧、そしてSEが鳴り、フロアは波のようにうねる。

バンドブームに恋をしすぎて、家に残ってた89年の宝島を何度も何度も読み直して、なんで私はこの時代に生まれてこれなかったんだろう、なんて悔しくてメソメソしてた時期もあった。
中野のトリオさんであの時代のグッズや雑誌を買いあさり、メカノさんでレコードを物色して、あの時代の物を集めることで心の隙間を埋めていた。
ナゴムのレコードなんかが手に入った日には、博物館に寄贈すべきだ!なんて表向きには言いながら、ホントは今日からお前は自分だけのものよってニコニコしながら一人の部屋で針を落としてタイムスリップしたりしていた。

しかしそれは例えるなら、リトルマーメイドのアリエルの秘密のコレクションのようなものだった。いくら集めても、何かが足りない。その欠落した箇所を補ってくれるのはただ一つ、ライブハウスだった。

私がバンドブームに恋した頃は、ちょうどあの頃のバンドが活動を再開したり、期間限定再結成したり、何かとそういうイベントが多い時期だった。(と思う。)
ライブハウスで、あの頃のバンドのライブを観る。
違うことは1つもない。あの頃もきっと、同じ空間がそこにはあったはず。
YouTubeの動画の中で見た世界に、私はいるんだ。
この時代に生まれてよかったんだ。まだ、世界は終わってない。私はあの世界の延長線上に生きているんだ!
そう感じることが、人生の支えだった。

だから今こんな事になってしまって、私の心はゆらゆらしている。
あの時代と触れ合うことができない。タイムスリップできない。私の愛したあの世界が、今はどこにも見つからない。画面の中だけの世界になってしまった。

最後に行ったクロマニヨンズのライブで、ヒロトはその瞬間の世界中の誰よりも何よりも楽しそうに、「おもしろいこと、いっぱいあるなぁ」と笑っていた。
全然良くないんだけど、もし仮に、閣下がブログで仰ってたように、この先1年くらいライブやコンサートが出来ない世界が来たとしても、最後のライブの思い出がヒロトのあの笑顔なら、それはそれで良かったのかな。と、変に自分を納得させようとしている。
そうでもしないと、自分がライブの無くなった世界に今現在生きているなんて、受け入れきれない。
こんな思いするために、生きてるわけじゃない。ただ幸せになりたいだけだ。

もちろん、配信などで音楽活動を続けているバンドが沢山いるのはわかっているし、ファンとしてもとても嬉しいし、泣いてしまうくらい感謝している。
それでも、毎夜ライブハウスがバンギャやパンクスで溢れかえり、爆音の振動で地球ごと揺さぶるような世界が戻ってこない限り、私たちに「新しい日常」は訪れない。
もしも「新しい日常」にライブハウスというものが存在しないのなら、そんな日常、私はいらない。


ほんの一部です