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曖昧な状況や自分を受け入れる

物事の白黒をはっきりさせたい性分だと思う。
自分の中に感じたなんとなくの感情を分解して納得したがるのも、自分の意にそぐわない状況になると、今すぐに現状を変えようとしたり、答えを出そうとするのもそういった性分から来ていると思う。

現状に不満を抱きながら曖昧な時間を過ごすことが苦手だし、自分の手で現状を変えていくことが唯一の解決策だと思っていた。一つでもモヤっとしたことがあると、他のことにまで影響するから、できるだけ早く解消したいと思い、いつも焦りながら過ごしていた。

でも星野概念さんのこの記事を読んで、曖昧さについて見つめ直すことができた。(星野概念さん大好きだから色々読んで欲しい)

人生の多くの時間や物事は、白黒どっちつかずなグレーな時がとても多い。こうしたいけど、今の現状は違う。そうなると自分がゴールに置いているところに到達するまではずっと曖昧な状況だし、多分そのゴールが達成できてもまた次のゴールを設定して、グレーな時間を過ごすことになる。

そもそも絶対にこれ!というゴールを設定すること自体が自分を縛っているし、自分の可能性を潰しているのかもとこの記事を読んで思った。(そしてそのゴールが途中で変わったりするんだよな…)

どっちつかずで曖昧な物事や状況が当たり前で、それを許す。そうするとあーなんか今の状況も悪くないかもと思えたり、意外とこうかもと違う目線で物事を見れたりする。絶対これじゃなきゃいけない、こうしなければいけない(いくら稼いで、こんな職業に就いて、何歳までに結婚して、どこに住んでetc.)の呪縛や執着から手を離して、今のなんとなくの自分を受け入れる。

今の現状を違う角度から楽しんでみるとか、問題そのものを今すぐ解決することは一旦置いといて、今の現状でも楽しめる他の何かに目を向けるとか。(一旦諦めてオタ活に注力するとかね♡)
そうやって気の抜けたリラックスした自分でいると、思わぬ方向に人生が転がっていったり、自分だけでは見えなかった景色が他の人との関わり合いで見えてきたりするのかなと感じた。

物事の良し悪しはすぐにはわからない。本当はこうしたいのにそうできてなくて無駄な時間を過ごしているなと今は思っていても、3年後の自分から見ると案外それが活かされていたり、一見遠回りに見えるような道を歩んできた人の方が、その人にしか見れない多角的な角度で物事が見れたりすることってあるなと思う。

何の悩みもなく、身も心も全てが満たされているなんて日はないから、小さいことでうだうだ悩んだり、現状に不満を感じたりしながらも、どっちつかずな曖昧な自分を楽しみながらこれからは過ごしていけるようになりたいな。緩めるって難しいけど、大事だよね〜

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