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タイミング

私は多分、文章を書くのが好きだ。

日記と立て付けたこのブログも、日記か?と思うほどの低頻度で書いているが、私としては楽しんで書いている。

書くタイミングは自分でもわからない。
ふら〜っと、携帯を掴んで、急に書く。
そして、今日、今それが起きて書いている。

さて、わたしは先ほど自宅のキッチンにてコップを割った。

イッタラのグラスに、イッタラのグラスをぶつけて割った。
イッタラのグラスってなかなか割れないなーと思っていたが、イッタラ同士だと割れるのか?いや、たまたまでしょう。割れてしまった。

久しぶりにグラスを割ったので、この割れたグラスをどう処理したら良いのか分からず、アレやこれや、あーでもないこーでもない、右往左往と、えらいこっちゃえらいこっちゃと、色々やりまして、やっとのこと紙袋に収め、その紙袋に"ワレモノ"とマジックで書いた途端に

人気もんも嫌われもんもみんな仲良くこわれもんさ。

The Back Honeの名曲が頭の中で流れ始め、ひゅーーーーっと、コップを割ったキッチンから自分の意識は遠くの彼方まで飛んでいった。

あー。広島のライブ行けなくなっちゃったなぁ。

そうなんです。ワタクシ、この週末、行く予定だったライブに行けなくなってしまったんですね。まぁ、それは、私の大切な家族の為だから良いのだけど、とても残念だなとは思います。

そう。
答えって、ひとつじゃない。
(えっ、待って、急にどした。)

行けなくなったライブ、行きたかったなと思う気持ち。残念な気持ち。大切な家族を思う気持ち。全部が私の答え。

いっつもそうなの。
私の頭と心には、言葉がたくさん泳いでいる。

アイツが私に言った、私を馬鹿にした言葉も
私があの人にムカついて、心で発した言葉も
なんだか全部、空中に目に見える形で現れて泳いでく。

私はその言葉を見て、全部空中に泳がせてから、
うん。これ全部わたしの言葉だな。って思う。
それが例え、私じゃない、ムカつくアイツが発した言葉でも。

急に自分の存在を離れて、遠くから客観視するのは、
急に自分の皮膚の中に、自分の脳の中に、私を閉じ込めてがんじがらめになるから。

その両極を行き来して、きゅーっと遠くまで行った、とある距離の時に、ふっと私は文章を書く。

きゅきゅーーーーっと行きすぎると、今度は書かずに、ただ、気がつくだけなんだけど。

あーーー、わたしの文章を書くタイミングってここだなーーーーと。
ふと思ったから、今日は日記を書いた。

ワタシの頭と心と感情は、いつも流れていく。
さささーーっと、流れる川のように流れていくこともあるし、流れてる、、と言うよりは、でっかい岩にぶつかりまくって飛ばされている、、なんて事もある。

渦中にいる時は、感じている。
ワタシの中を。

頭の中いっぱいにジンジンきたら、急に宇宙のエリアまで飛んでゆく。でもそれは、なんと無く地球の上辺りね。

いま、私はそのあたり。
その辺りで、文章をきっと書いてる。

私の頭と心と感情の壊れ具合って、こんな感じ。
この、意味のない、でも確かに感じていることを、どーにかこーにか言葉にする。

その作業がとてもすき。
すきっていい言葉だよね。
ほら、こうやってまた、びゅーんと飛んでまた何か思いだしたり、感じたり。

自由に飛んでいこうじゃあないかぁ!
日々、何かに押し込められて生きているからこそ。
わたしは、文章を書くんだろう。

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