自分が「竜とそばかすの姫」を楽しめなかった理由

映画「竜とそばかすの姫」を観てきました。
まず個人的なことを書くと、自分が映画を観に行く時はあらすじや登場人物などの情報をあらかじめインプットしないようにしているので、事前に認識していたこといえば予告編で観た「電脳世界を舞台にシャロン・アップルみたいなバーチャルアイドルが登場する」というイメージくらいでした。
ゆえに、自分の嗜好とアンマッチを起こす可能性も孕んでおり、「竜とそばかすの姫」に対する感想も「自分に合う作品では無かった」というものになってしまいました。

※以下、あまり作品の結末・核心部分については触れていませんが、未視聴の方には本編鑑賞後に読むことをオススメします。またこの文章は個人的なものであり、異なる感想を否定する意図は全くございません。

あらすじ

主役は女子高生の内藤鈴(すず)。すずは幼いころに水難事故で母を亡くし、トラウマで好きだった歌を歌えなくなってしまう。

この世界では現実とは別にインターネット上の仮想世界「U(ユー)」が存在し、そこでは自分のアバターを作りもう一つの人生を送ることができる。
親友・弘香からの誘いで、アバター「ベル」として「U」で自分の作った歌を披露し始めたすずは、瞬く間に人気を博していく。

多くの観客が集まった「ベル」のコンサートの日、会場に「竜」が乱入する。
討伐しようとする自警集団を次々と倒していく「竜」、すず(「ベル」)は正体を突き止めようと「竜」に接近していく。

感想

ベルの歌唱シーンから物語は始まり、また作品の山場でも挟まれていくのですが、そこのクオリティについては心から肯定できました。
そして冒頭のコンサートが終わると、現実のすずの姿が映し出されるのですが、画面に登場するのが「すずが持っているマグカップのふちが欠けている」「飼っている犬の足先が一本無い」など、すずの心の欠損が表れたシーンとなっていました。
そこからすずの過去パートが始まり、母親の死や学校生活での孤独が明かされていきますが、この時点で自分は本作についていけなくなってしまいました。
理由としては、すずの悲惨なバックグラウンドが提示されたときに、自分はこの映画が「啓蒙的・教育的な作品」なのではないかと感じてしまったからです。

細田守の映画には常に家族の存在がありました。「サマーウォーズ」の陣内家、「おおかみこどもの雨と雪」の花と雨と雪、「バケモノの子」の久太と熊徹、「未来のミライ」のくんちゃんとミライ。
そして「竜とそばかすの姫」でも母親の不在、父親との不和が物語を構成する大きな要素となっています。

大金をかけて作った大作でも、肩の力を抜いて観られる娯楽作品でも、観賞して得れる教訓はあると思います。「他人を大事にしよう」や「どんな時も諦めなければ夢は叶う」など。
しかし、それらの教訓を物語にどの程度取り込み、観客に対してさらけ出すのかは、作り手の裁量に委ねられていると思います。
「サマーウォーズ」においても陣内家という一家は作品の構成要素になっていましたし、「家族は大切にしよう」という教訓を得られる作品になっていたとも考えられます。けれど同じくらいに「健二と夏希の恋愛」や「ラブマシーンを倒したカタルシス」というポイントも作品の大きな魅力になっていましたし、この2点が観客に対して何か教訓を授ける要素になるかというと、その度合いは低くなるのではないでしょうか。

本作の舞台である「U」は「未来の理想郷」というよりも、我々がいま使用するインターネットと地続きになったリアリティのある空間になっていました。歌姫として「U」の表舞台に表れたベルには称賛と同じくらいの批判コメントが投稿されました。竜を退治しようとする自警集団のリーダーはアバターをアンベイル(現実世界の姿に戻す)する力を有していましたが、現実のネットで行われている個人特定をフィクションに落とし込んだ能力のように自分には感じられます。

本作の主人公・すずは彼女が抱える生い立ちによって傷つき、自分の感情をうまく発信できないキャラクターとして描かれ、また作品の重要人物である「竜」も深い絶望を抱えていました。

現実のインターネットとそう変わらない「U」で、現実でも起きている問題によって傷心したキャラクターが再生する物語だと認識したとき、作品が抱える生々しさから自分は「竜とそばかすの姫」を「観客を楽しませるエンターテイメント」ではなく「啓蒙的・教育的な作品」として捉え、楽しむことができなくなってしまいました。

今回「竜とそばかすの姫」を観に行った時、10代20代のカップルと思しき客が多く目に入りました。評判がいいのか、millennium paradeの主題歌に惹かれたのか、宣伝が成功しているのかはわかりませんが、「アニメ=子供かオタクが観るもの」という古い概念を捨てきれない自分にとっては驚くべき光景でしたし、カップルでも観に行けるイメージを構築した細田守は、大衆性を獲得した偉大なクリエーターであると思います。
また「竜とそばかすの姫」が細田守にとって心の底から描きたいテーマであったのであれば、自分は「竜とそばかすの姫」と細田守を否定しません。
ただ「自分に合う作品では無かった」ということだけをこの文章で書き残したいと思います。

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