楽しくて楽しくなくないマリオカート //211114

 出来ないことというのはもどかしいが、稀にそれでも楽しめる物があって、私にとってはマリオカートでありもう一つ挙げるならスマブラだった。
 大人になったら出来るのではないかと思ったこともあったが、やはり出来ない。ゲームはあまり買ってもらえる家ではなかったからゲームをする能力は全く培われず、センスが皆無だった。
 そもそも幼少期はスタートダッシュのやり方を聞いても教えてもらえず姉にボコボコにされ、頻繁に逆走しコースアウトも日常茶飯事、周回遅れもザラで、負け続けて下画面が暗くなりキャラクターはポスンと消えて、後は姉の上画面を観戦する人になる。散々だった。
 とはいえ、なんだかんだ楽しめる。なんせ勝てないことが前提になっているので、最下位にならなかっただけでも喜べる。前を向いて走っているだけで偉い。そうして起こるのは、勝てなくても続けて遊ぶということだ。とはいえ、あの頃は上手くなることはなかった。自分には出来ないのだと思っていた。
 出来ないことというのは、二つの意味がある。能力的に出来ない場合と、これまでやったことがないから出来ない場合だ。前者は根本解決が必要だが、後者はまだ希望がある。どちらかをはっきりさせるのは簡単で、しばらくやってみればいいのである。
 大人になってマリオカートをしたら、やはり幼少期のように出来なかった。出来なかったけど楽しいから続けて遊んだ。本来出来ないことというのはそれだけでストレスのはずで投げたくなるのだが、マリオカートに限ってはそうはならない。だから、前者か後者かの判別が付けられた。結果的に、続けて遊ぶことである程度は出来るようになった。上手いわけではないが、最下位にはならない。少しずつ順位を上げて、運が良ければ二位になったりもする。200CCなのに。快挙である。ゲームの運動神経は、大人になっても磨けるらしい。
 そこで、そういえば自分は大体のことはある程度したら出来るようになる要領の良いタイプなんだわと思い出し、勝てない楽しさは真っ当な勝ちたい楽しさにシフトする。

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