息子の頑張り

高校卒業して高等技術専門校(昔の職業訓練校)に入校するも半年経たずして通えなくなり退校。

丸2年充電しやっと復活した。

働くことを教えるために同じ派遣会社に登録し、本業をこなしながら土日は、息子と同じ派遣先に行って汗水たらして働いた。

働けば賃金が出る。頑張っただけの報酬が手にはいる喜びを教えるために頑張った日々は、無駄にならなかったどころか、良い結果をもたらし嬉しく思う。

本人の頑張り

壊れてしまった自律神経を整えるために始めた筋トレ。

思い起こせば中2の夏休み

息子は、小さい頃から便秘がひどくていつもお腹がパンパンで、2歳になるかならないかの頃にお尻を刺激してあげないとなかなか出にくくて、お風呂場でシャワーを当ててはトイレに連れて行っていた。

便秘が酷くて便の水分が無くなり紙粘土のような便を出すことが多かった。

ヨーグルトやバナナを食べさせても3~5日は出なくて、本当に苦しかったと思う。

小学生になると歩いて40分の道のりを往復するようになって少しは出やすくなったものの週に2回も出れば万々歳だ。出にくいので一旦入ると長い。2時間もトイレに籠っている。だから、朝からトイレに入っていると出てこれなくて遅刻することもあった。

中学生になって部活がある。

小学生までは、レゴブロック、ゲームばかりするインドア派

中学では、運動部に入り朝練あり、時間も緻密になって忙しい。慣れない運動して疲れきって帰ってくる。さらにトイレで2時間。

勉強してる時間もなく風呂に入る元気もなく、はじめのうちはペースを保つのに大変だった。

中2の夏、便秘をなんとかしなければ、高校に行ったらもっと大変なことになる。

そう思った私は、息子を連れて病院に行った。

エコーで腸内を調べてもらった。

言われたのは、過敏性腸症候群

その時点で自律神経の乱れがあったのだ。

小学生の時は、お調子者でクラスでは目立つ方。

末っ子が生まれる前、幼稚園の年長から、自分の思いと違うことがあったり、嫌なことがあったりすると固まっていた。

中学では、そんな自分の過去を打ち消すように真面目に頑張ると決めていた。

ところが、真面目のさじ加減がうまくいかない。

間違ったことを言ってないのに、周りから叩かれたり、批判されたり、嫌がらせやからかいがあったりして、1年の時の担任も真面目だからって良い訳ではないと言う始末。

めちゃくちゃだった。

善悪をハッキリ言う息子を尊重してくれなかった。

納得がいかなければとことん戦う姿勢の息子であったが、とうとう壊れた。

中2の時は、クラスが変わってメンバーも良くて、担任もさっぱりとした女の先生で、いい感じだったのだが、ムリを重ねる息子に暗雲が…

とうとう壊れたのが中2の2学期。

夏休みに便秘を治そうと思わなければ良かったのか?

自律神経の狂いが日に日に酷くなり動けなくなった。

心療内科に連れていき、疲れきってるから学校を休みなさいと言われた。

父親との関わりを書いてこなかったが、息子の様子を見て、「気のせいだ、気にしすぎだ」としか言わない。ずいぶん前のブログにも書いた通り、息子にはきつく当たる。

中3になる前の春休み。学校復帰を果たす。

大好きな部活に参加することから始めた。

筋トレに付き合ってくれる赴任したばかりの先生。

中3の担任になった。

息子のためにあてがってくれたと思うくらいの先生でよく話を聞いてくれて、一緒に考えてくれて、父親にもきちんと話をしてくれる先生だった。

修学旅行に行こうと担任から強く言われ、不安定ではあったけれど参加した。

体調不良はずっと続いていた。

修学旅行中に体調が悪くなり、部屋で休みたい申し入れた。ところが、見回りに来た他のクラスの先生に説明してもわかってもらえず、

「お前みたいなやつは修学旅行に来るんじゃない‼️」

と言われた。

評判の悪い先生で、子供の気持ちは無視。

自分がナメられないように意気がってる新米教師だった。

これを機に息子は、学校に行けなくなった。

それでも出席日数を確保するようにと担任の方から提案があり、放課後登校をすることになった。どんなに遅くなっても学校で待っていてくれた。

担任の勧めで受けた高校は、一度落ちた。

息子のラグビー愛が強くて落とされた。

公立の不登校選抜も落ちた。

一度落ちた私立にもう一度出願し、卒業式に受験しなんとか合格した。

とにかく、高卒の資格が欲しかった。

高校もはじめのうちは自力で通えたが、どんどん体調が悪くなり自力で通えなくなった。

自律神経が壊れたままだ。過敏性腸症候群も治らない。

学校に対する不満と父親との関わりが悪く、なかなか抜け出せなかった。

息子が行った私立の高校は、正確に言えば専修学校の高等課程。不登校や学業不振の子が入学していた。

当然、授業にならない。なんでこんなところにいなければならないのか?自分の過去を振り返り悔やんでいた。

それでも、卒業はしなければならない。卒業を目標に出来るだけ学校に行けるように送迎した。

高3の2月。家庭研修期間も足りない日数を補い登校。他にも2人通っていた。

息子は卒業出来た。

高等技術専門校では、授業料がかからないコースに合格し夏休み頃まではなんとか頑張れた。

資格も取れた。車の免許証も体調不良でなかなか教習所に通えなかったけれど、ギリギリで本験は、一発合格。

能力は、人より高いのにもったいない。ずーっとそう言われてきた。

こんな苦しい思いしなければならなくなって、そんな言い方をされる。

夏休みになり、怪しげな体調不良。

旦那の怒鳴り声でかなり精神状態がおかしくなっていた。

今までの自分を打ち消すように、見返してやるという気持ちで頑張っていた息子。

全てがいっぱいいっぱいで、悔しくてプツンと切れてしまった。

その頃だ。旦那と私に亀裂が入ったのは…

息子も同じようにキレた。

それを機にスッキリし上向き状態になってきた。

退校させられた時は、私は不安でしかなかった。息子の荷物をまとめて学校から出るとき涙が止まらなかった。

息子も悔しかっただろう…復活して職に繋げたかった

自分はどうしたら復活するのか考えてた。

ラグビーがやりたい。筋トレしよう…と

ちょうど、ラグビーワールドカップがやっている時だった。

中学でやっていたラグビー、高校でもやりたかった。社会人ラグビーがあることを調べて通うようにと勧めた。

筋トレを続けているうちにメンタルも回復。トイレの時間も短くなった。

旦那との関わりは、変わらないけど顔を合わすことが格段に減った。

後に旦那と別居。

毎日あった腹痛や頭痛がなくなった。

学校のことも原因の一つだったけど、やはり旦那がいるのといないのでは全く違うのだ。

息子をダメな奴だと見下していた旦那。

就職したことをまだ伝えていない。話すのがもったいない情報。

試用期間が終わったら話せばいいと息子と決めた。

はじめて自分で探して、応募して面接に行った。自分の足で通い、仕事をしている。

はじめの1週間が無事終わった。

立ち仕事で足が痛いとは言うけれど、1週間で4万円になると思えば、頑張れそうだと言う。

慣れだから、しばらく大変だけど、しっかり休んで来週からも頑張って欲しい。

自分の底力を見せつけろ‼️

過去に囚われなくていいから、目の前をしっかり見て自分のペースで、前に進んで欲しい。

元気でいればなんとかなる。

夢や野望を持って生きて行け。

もう守りに入るな‼️

応援してるよ。






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