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過程を睨む

移り変り、破壊を免れない迷いの世界

仏教用語の「世間」とはこのような意味だとWikipediaに書いてある。

はたらく を頭の中に描いてまず思い付いたのは「生活に必要なお金を稼ぐ行動」である。

しかし、そんな単純な答えでは終わらせられないことを はたらく ことで世間を少し知り今思っている。

はたらくってなんだろう なんだろう
この仕事どうしたらいいんだろう
自分はどんな仕事がしたいんだろう

はたらく ことで迷いの世界に入っている。

いや、ここで暗い文章ばかりを並べたいわけではない。いや、迷いが暗い気持ちを表すものとも限らない。明るい迷いもあるはずだ。

迷うことは、人間にしかできない特有の思考であると私は睨んでいる。


はっきりしない

2020年、都市封鎖をしたインドで、これまでスモッグで霞んでいたヒマラヤ山脈が「はっきり見える」といったニュースを見た。
経済活動が環境破壊に繋がっていることを強く意識した瞬間だ。

だからといって「地球が無ければ人間は生きられないのだから経済活動は止めるべきだ!」とは自信を持って言えない。
全ての経済活動が環境を破壊しているわけではないし、経済活動を止めると社会が成り立つのかも分からない。
知識の少ない私は迷う。専門家に頼りたい。

経済活動と環境保護が対極にあるわけではないが、はたらく中で一方を立てれば一方が立たないことは多い。
白でも黒でもない選択を強いられることが多々。

そんなはっきりしない答えを求めてばかりで、はたらいている気がする。

灰色な答え
灰色な景色

決して灰色が悪い意味ではない。
白なのか黒なのかはっきりしなくても、その色合いを作った過程には人間らしさがあって欲しい。


どちらでもない

「はい」「いいえ」の二択のみで答えられる問題は限られている。「この部分は、はい」「こうなら、いいえ」「赤」や「青」等の答えがあっていい。

答えだけでなく問題提起もそうだ。

二元論的発想に閉じ込める

先日読んだ、青木真兵/青木海青子著の「山學ノオト」にこんな一文があった。

突然「これ」と「あれ」しか存在しないかのように問題提起し、相手の答えを非難に値する片方に当てはめる。SNS上でいわゆる「炎上する」ときに多いのではないだろうか。

問題提起の正確さと他の可能性に目を向けなければならない。

私は、「要するに」として今取り組もうとしている課題を自分の都合の良いようにまとめ、見つける答えも単純明快なものにしたいと考える癖があると、この本を読んで気付いた。

人間は理解し難い事柄に直面したとき、とりあえず「こうだろう」と自分の都合の良いように解釈をして思考を止めようとする、と聞いたことがある。

私のこの癖は大切な何かを見逃しているかもしれない。
だから、簡単には思考をやめないことが
はたらく ことでもあるかもしれない。


美しい

肩書きが「小説家」「音楽家」「画家」等と呼ばれる人は、本を書いたり曲を作ったり絵を描いたりしている。

頭の中で想像するものを形にする。
このことは人間ならではの特徴だと思う。作品から強い意志が感じられたとき、人は感動することがある。

形にされたものが世間に晒されて、共感や否定をされ、評価がお金で表されるかもしれない。
共通の交換資源であるお金を用いて生活することが経済社会のルールだから、お金で表されることは必要なこと。

生活する上で、
結果=いくらのお金になったか
は気にする必要があるが、それよりも大切なのは、結果を生み出すまでの過程だと思う。

過程が大切であることを教えてくれた、私の好きな言葉がある。

人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。

これは、岡本太郎著「自分の中に毒を持て」の最後のページに出てくる言葉だが、一冊の中で何度か「無目的」「無条件」という言葉が登場する。
また、途絶えていた祭りを復元した人の話を紹介し、そこには

その人は祭りの当日より、実はみんなで知恵と労力と情熱を持ちより、苦労して手さぐりで準備しているとき、つくりあげていく過程がほんとうに生きがいだったと眼を輝かせて話していた。

とある。

「無目的」「無条件」にやりたいこと。ただただ何かを作り上げる、何かに突き進む過程。

0から始まるのは不安が大きいが、そこから自分を信じて立ち上がり、進むのが美しい。ベテランの均一化された過程よりも素人の下手な過程のほうが人間らしい美しさがある。とこの本を読んで私は解釈している。

「美しい」という言葉の使い方が変わった。


睨んだもの

私の仕事は事務職で雇用される側の人間であり、普段の仕事は与えられた仕事と問題を見つけて改善することが主である。自分の外側に目を向けている。

それに対してアーティストと呼ばれる人は、頭の中で想像するものを形にして作品にすることが主だと思う。

「事務職」と「アーティスト」
対極にありそうな職種だが、
はたらく 点では共通するところがあると私は睨んでいる。

ものを提供する 食事を提供する サービスを提供する 作品を提供する
どれも最後はお金に交換され、経済活動の一つという結果になり評価されるとしても、その過程には人間らしい美しさがあるはず。

ただ書くことが楽しい
ただ喜ぶ顔が見たい
ただカッコいいと言われたい
ただアイデアを出し合うのが楽しい
ただ頼られたい
ただ協力してチームで働きたい

はっきりした言葉にできなくても、気付いたら夢中になっていたというような 自分を突き動かす 何か が はたらく 過程の中に散りばめられていると信じている。

結果と周りからの批評ばかりに目が向きがちだが、過程にもっと目を向けたい。
過程で自分が何を感じていたか。


迷い思考し続けるのが人間らしく

答えの色は明確でない

辿り着くまでの美しい過程

それが

はたらく


締めくくらないとこの記事は終わらない。
世間は迷いの世界だから、はたらいていれば答えは変わりそうだ。

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