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精肉店

父が卵を仕入れに行くというので着いていったことがある。そこの人が現場を見せてくれた。薄暗い狭い体育館のようなところ、あれは夜の七時頃だったか。おそらくひよこ電球とかそんな名称で売られているあの電球がぼんやりとした光を放っていて、何段もある狭い檻に詰められた鶏たちがギャアギャアと喚いていた。

「狂ってる」と思った。鶏がだ。よく見ると足場は斜めになっていて、生まれた卵が転がり、そのまま回収されるようになっている。

家にも鶏がいた。広く大きな鶏小屋。ときどき外に出して放牧もした。家の者が朝に食べられるぶんの卵がとれた。

ずいぶん不衛生で不健康な鶏の卵なんだなと思うと、味が貧しく感じられた。同様に、牛や豚なんかも舎や環境を見ると、これが本当に肉というものなのか分からなくなった。味がしない。なんだかえぐみがあるようにも感じられた。

私は精肉店を継ぐこととなった。今まで並べてきた味のほかに、いかにも若い代が作ったようなコロッケを並べた。どちらもそれなりに売れた。両方好きだと言ってもらえて嬉しかった。

ブロックで入ってきた肉の解体は私がする。スーパーでも売ってるようなグラム120円程度の庶民的な豚肉。あまり出歩くこともなかっただろう、低温室で処理していても、健康とは言えない脂が臭った。

そして少しばかり高い豚肉。これは血統なのだろうか。同じ条件で飼育してもこんなに赤が瑞々しく綺麗なものだろうか。

熟成中の牛肉を確認し、予約に備える。

そして人間の肉だ。私は食べはしないが馴染みは深い。畜産として飼育された人間はぶよぶよとしている。他の家畜同様に一定の広さと運動が必要なのだ。子供を生んだ母人間が安く卸されてくることがあるが、滋養も栄養も抜けていて、ガラとして掃くしかない。食用かそうでないかだけで、子を何人も生んで廃棄同様の価格で投げられるのは、継いだ今でも馴れるものではない。

もし家畜でなく人間なら、子をたくさん生めば栄養と滋養を与えられ、存分に休養を取らされるだろう。

その日は少し色つやの見劣りする人間も入ってきていた。確かに人間の肉の色形をしているのだけれど、日付も間違っていないのに傷みのような臭いがするのだ。

父に見立てを頼むと「ああこれは精神病やってるな」と事も無げに言った。
「おまえ、ブロイラーの卵と肉、臭くて嫌だって避けてたのに、人間のは分からないのか」
父は私をバカにするふうでもなく、仕事ではなく父親が娘を恐怖から庇うようにそう言った。「おそらく鬱だろう、病気は血肉に回るからな、無理はしなくていいがどことなく甘ったるい臭いがあるのが鬱肉だ。肉も弛緩はしているが筋張ってるのが特徴。健康な肉ではないな。この甘ったるい臭みを好きな連中もいるんだが、あまり店で取り扱いたくはないな。お前は勘がいいから継がせたが、その反面つらいこともあるだろうな。自分の勘を信じて、良いと思った肉を仕入れなさい。」

父は子どもを慰めるように言った。

鬱肉は売らないで廃棄することにした。店に並べるのが怖かった。ハイエナのような者が買いに来るのではないかと不安が大きかったのだ。


(薄荷水)

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