夏のパイロット

まだ成層圏にも差し掛からない頃、パイロットは忘れ物をしてきたことに気づいた。厳密には「気づいた」のではなく、「忘れ物をしてきたような気持ちになった」。そもそも僕はパイロットではなく、地上でそこらへんを歩いている。

ただもうなんか、終わりなんじゃないかって気分で。

そしたらあの子の夢を見るようになってしまった。去年の夏につまんないケンカにも満たない、なんかそんな仲違いをしてそのままの。

僕は地球にやり残してきたことがある。
さてどうしよう。僕は勇敢なパイロットだからまずメールをした。ここから地球に届くには時間がかかる。行きだけでも三日くらいはみないといけない。しかし地球からの返信は意外に早く、往復四日ほどで連絡が取れた。

彼女の無事を僕は喜んだ。あまり地球の環境は良くなさそう。無事ではあるがそれなりに怪我や病は負ってしまっているようだ。地球に引き返したいという勢いのある気持ちを何かが阻んだ。幾度か言い合いになったときの傷だって疼く。あの子は弱ってるところを見られるのが嫌なんだ。野良の子猫みたいに。僕は何度か引っ掻かれてんだ。

あの子は猫が苦手だと言ってたな。いつ引っ掻いてくるか噛んでくるか分からないって。まるっきり君じゃないか。

今度の任務は戻って来れたとしてもう君と会えないような気がしてるんだよ。永遠にさ。僕らはもうこんな課題を一緒に乗り越えることも出来ないんだ。本当なら近くにいて「今日は大丈夫だった?」て毎日君の安全を確認して頬を撫でたいし、抱きしめたりもしたいんだけど。大きな望みを持つのは止すよ。新しい飼い主がいるのかもしれないしね。よく言ってたじゃないか。「アタシの周りにはたくさんのニンゲンがいるのよ」って。そしてこれは遠回しな意地悪で「そんなこと言ってた自業自得だよ」ってことなんだけど、もうあれからずいぶん経つんだもの。誰かが君を拾い上げてる可能性だってあるよね。

じゃあなんで「ちょっと怪我してる」なんて返信するんだよ。返信そのものがないとか、「元気でやってるわ、ご心配なく」でいいじゃないか。

それでも船は止まることはない。地球から静かに離れていく。

防御で撥ね付けるような意地悪じゃなくちゃんと脱いでから僕を罵ってよ。いっときの感傷だからダサイとか、「ニンゲンって愚かよね、きっとフリンするヒトたちなんかもアンタみたいなおめでたい頭してんでしょうね」とか。ああもういっそ無視でいいよ。うざいとかきもいって。

僕は跪きたいんだよ。君にこころを露にすることを許してよ。

次にもし返事が来たらさ、もうこんな滅茶苦茶でぐちゃぐちゃのことをあの子に全部伝えようと思うんだ。迷惑かななんてそれこそが予防線で防御だ。誰かにだいじにされてるのかなとか。どうでもいいよ。僕は滅茶苦茶にされたいんだから。

そして何より君が地球で幸せなら、僕は思い残すことはないから。


(文/薄荷水)









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