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ナイフ

夜に河川敷を自転車で海のほうへ向かうことがある。海まで行くことはあまりないのだけど。心がどうにもならなくなったとき、真っ黒な大きな川と、僅かな外灯で、僕は自転車と共に暗闇に溶けて自分を解放する。

そして美しい景色に出会う。静かで、月もない夜。冷たい風が頬を切り、ひどく澄んだ世界へ僕を連れていく。

ああなんて美しいんだろう!
美しいものは僕の肺の濁った空気を抜き、新鮮で冷たい空気を入れてくれる。感情は洗われ、調理場の換気扇についた油のような汚れは剥がれ落ち、目から涙が零れる。

しかしそんな時だ。
僕は、背後に大きな岩を持ち上げた、頭の少し欠けた大男がいるような気がしてならないのだ。僕が風景に感動し、空っぽに満たされたそのときーーーー大きな岩を振り下ろされて殺されてしまう。

だから僕は完全な無防備になることはしない。少しだけ汚れたままの心を持ち帰る。ポケットに入れておく。
僕を侵そうとする何かをいつだって刺せるように。


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(ゆうがたのくに第十二号掲載)

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