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意富比神社(船橋大神宮)【千葉・船橋市】

こんにちは!『神社アベニュ~』の20.315です。

今回は千葉・船橋に用事で行ったついでに、というより、船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)に参拝に行ったついでに用事をすませてきました。笑。

ここが正式名称、意富比神社(おおひじんじゃ)という神社名であることは意外に知られていないのではないでしょうか。

20.315の知り合いにも船橋の方がいらっしゃいますが「船橋大神宮でしょ」という感じです。

「意富比」を「おおひ」と読める人がどれほどいるか、なかなか想像しづらいのが本音ではないかと思われます。20.315も、読めません。笑。

明治神宮や熱田神宮のような広大な境内があるわけではないので、さすがに「神宮」と呼ぶのが憚られますが、古くから住んでいる方々にとっては、近所の氏神様の小さな神社に比べれば十分に大きな神社なので、通称「船橋大神宮」としてその名が通るようになったのでしょう。

ところで、正式名称である「意富比(おおひ)」とは、どこに起源があるのでしょう?

20210410船橋大神宮-2

一説には「おおひ」は「大日」のことで、この地に盛んだった天道念仏から大日如来(だいにちにょらい)を起源とする説。意富比神社には神仏習合時代から大日如来の仏像が収められているそうなので、その説も故なしとはいえません。

が、20.315は下総に住んでいたとされる多氏(おおし、おほし)と呼ばれる豪族に由来するという説の方がしっくりするような気がします。

多氏は古代に皇族から派生した有力豪族です。神武天皇の皇子が起源とされ、九州と東国で繁栄したといわれ、その後裔が印旛国造(いんばのくにのみやつこ)も務めています。長狭国(ながさのくに)の国造も、多氏の系統といわれているとおり、下総エリアは多氏が治めた地域です。

船橋大神宮の宮司は、昔から「千葉姓」であるとのことですが、この千葉氏も、もとは多氏の系統ではないかとの説もあります。

九州の阿蘇神社の神主は「阿蘇姓」で、こちらも、もとは多氏の後裔といわれています。

20210414船橋大神宮1

多氏の話が長くなってしまいましたが、この「多氏」が登場することからもここ意富比神社が古代に起源を持つ神社であることがわかります。

日本武尊が東国平定を祈願したのが始まりとされ、時に景行天皇40年に創建とのことです。景行天皇は143歳まで生きたとされる幻の天皇ですね。

古(いにしえ)の御代から下総の地に鎮座する意富比神社。

政令指定都市に匹敵する約65万人の人口を擁する関東有数の都市にまで発展した船橋。船橋市民にとって、心の拠り所としてこれからも愛され続けるでしょう。


【基礎データ】
■創建 景行天皇40年。古墳時代。
■祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
■住所 千葉県船橋市宮本5-2-1
■HP 意富比神社(船橋大神宮)

※写真は全て20.315が撮影。


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