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葛飾八幡宮【千葉・市川市】

葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)は千葉県市川市に鎮座する由緒ある八幡様です。

葛飾といえばこち亀の両さんを思い浮かべる方も多いと思いますが、江戸川や中川の両岸地域は、古来から「葛飾郡」となっていて、東京の葛飾区も、もちろん含まれます。江戸川区の東隣が千葉県市川市であり、明治期より開発が進み、関東大震災のあと東京日本橋界隈の商人が移り住んでいて、富裕層が多いエリアとして知られています。

JR・都営新宿線の「本八幡」駅と「京成八幡」駅の間は200メートル余り離れていますが、ヘッダー写真のとおりタワマンがいくつも建っていて、その発展ぶりは凄まじい!

そんな発展著しい市川市の住宅街に佇むのが、葛飾八幡宮です。

葛飾八幡宮への参道が、京成線で遮られていて「むむ!」と思いますが、公共交通機関ならば「やむなし」というところでしょうか。↓

葛飾天満宮-2

ま、全国を見渡すと、神社の参道が線路や踏切、国道・県道に横切られている例はいくつもあります。

さて、踏切を進むと参道脇には市の施設が並んでいます。市川市の八幡分庁舎、中央公民館、八幡市民会館(警備会社の全日警がネーミングライツを取得し、現在は”全日警ホール”)があり、下記写真(↓)は中央市民会館の前景です。お屋敷?社務所だった?と思わせる作りです。

葛飾天満宮-5

いろいろ検索したところ、Tripadvisorの口コミで「新潟県柏崎市の民家を移築したもの」「(新潟で)明治天皇が宿泊された」との書き込みがありました!

なるほど、ですね。ただ、市川市と柏崎市の繋がりは謎です。姉妹都市でも、提携しているわけでもありません・・・。

↓ 中央公民館の前景と葛飾八幡宮の拝殿部分は、そっくりです。

葛飾天満宮-1

創建は平安時代、寛平年間(西暦889~898年)といわれています。

まさしく古社ですね!

下総国総鎮守として、当時の宇多天皇の勅命により石清水八幡宮から勧請して創建されたといいます。ご祭神の1柱である応神天皇は武運の神様なので、平将門、源頼朝など関東武士から厚い崇敬を受けています。

ところで、この葛飾八幡宮のHPのご由緒ページに「八幡の藪知らず」(やまわたのやぶしらず)というエリアの紹介欄があります。

本八幡駅から葛飾八幡宮への行程、千葉街道(国道14号線)に面した一角に竹藪があり、小さな境内を持つ「不知森神社」(しらずもりじんじゃ)が鎮座しています。↓

葛飾天満宮-4

葛飾八幡宮の土地なのか、市川市の土地なのかは判然としませんが、住宅街に忽然と現れる鬱蒼とした竹藪です。

ご覧のとおり300坪の竹林となっていて、20.315のネイチャーフィールドXを彷彿とさせる光景です!

「八幡の藪知らず」とは何なのか?

どうやらタブーの森らしいのです。禁足池ということです。

その理由については諸説あるようですが、ここには池があり、葛飾八幡宮として動物供養のため、ここに死骸を収めたのだ、という説が20.315的には一番しっくりくるような・・・。

つまりは動物の墓場、だからむやみに入ってはならぬ、ということじゃないかと思います。真相は謎ですけど。

本八幡駅は東京駅からも10数キロと近く、全国の神社マニアにとっても訪問しやすい場所に鎮座していると思います。

葛飾八幡宮の歴史と不知森神社の謎に思いをめぐらせて参拝するのも、いいですよ。付近にはお店もたくさんあるので、参拝がてらにランチタイム!

【基礎データ】
■創建 寛平年間(西暦889~898年) 平安時代
■祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)、玉依比売命(たまよりひめのみこと)
■住所 千葉県市川市八幡4‐2‐1
■HP 葛飾八幡宮

※写真は全て20.315が撮影。


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