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下神明天祖神社【東京・品川区】

JRおよび東急の「大井町」駅から歩いて5分ほどの場所に鎮座する下神明天祖神社(しもしんめいてんそじんじゃ)があります。

こんにちは、神社アベニュ~の20.315です!

都会の住宅地にひっそりと佇む神社にご参拝いたしました。

社の名が「下」とついている以上、「上」を示す神社もあるのでは?と思うのは自然なことですね。その通り、ここから南西に直線距離で700メートルほど離れた場所には「上神明天祖神社」(かみしんめいてんそじんじゃ)があります。

宗教法人名では、実はどちらも「天祖神社」(てんそじんじゃ)と登記されています。

地元の方々が「天祖神社」と言った場合、それは「上」なのか「下」なのか、ややこしいので「上下」を通称にして判別することになったんでしょう。おそらく。

それにしても何故、天祖神社がこの地域に2つ存在しているのでしょうか。

下神明天祖神社ー3

江戸時代、ここら辺一体は「蛇窪村」といわれていました。
大井町駅周辺は、歩いてみるとよくわかる通り、アップダウンの激しい土地です。つまり、「窪地」のある土地で、昔は蛇もたくさん棲息していたんでしょう。だからこそ「蛇窪」という地名が付いたのではないか、と推測できます。あくまで20.315の推測ですよ!

正保(しょうほう)年間(1644~1647年)、蛇窪村は上蛇窪村下蛇窪村に分かれます。

明治維新を経て江戸は東京に改称され、東京は帝都の道を歩み始めます。開発・発展著しい途上、昭和初期になり蛇窪村は東京市荏原区に編入されることになり、当時、町の議員から「蛇という字がついているのは縁起が悪い、嫌だ」との声があがり議会での調整によって「蛇窪」という地名は消えうせます。

上蛇窪村は上神明町、下蛇窪村は下新明町となり、さらにそれぞれが南北に分けられ、南同士のエリアが豊町、北同士は二葉町と改称されました。

そして、天祖神社がこのエリアに2つ存在する理由ですが、伝承によれば蛇窪村が上下に分かれた正保時代に、天祖神社も2つに分けられたといいます。

地元の人々にとっては、お参りする神社が近くにあった方がいいので、上蛇窪村にあるんなら、下蛇窪にも勧請しようぜ、みたいな感じでしょうか。

こうして、この地には天祖神社が2つ鎮座することになった、というわけですね!

下神明天祖神社ー2

「蛇窪」という地名、そりゃ人によっては気色悪って思うこともわかります。わかりますが、蛇から見れば人間の方が邪悪な生き物とうつっているかもしれません。

そもそも蛇には「邪悪なものをはねのける」意味だってあります。蛇の抜け殻には、金運を高めるという言い伝えだってありますしね。だから、昔は蛇皮の財布を持つ人もいました。

「蛇窪」という地名がなくなってしまったのは、少々残念です。

でも。

実は上神明天祖神社は別名を「蛇窪神社」といい、鳥居の扁額にはしっかりと「蛇窪神社」と掲げられています。ナイス、ですね!

下神明天祖神社と蛇窪神社をめぐり、戸越銀座で休憩する、という東京散歩もいいと思います!

【基礎データ】
■創建 不詳。南北朝時代または江戸時代初期か。
■祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇(おうじんてんのう)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
■住所 東京都品川区二葉1-3-24
■HP 下神明天祖神社

※写真は全て20.315が撮影。


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