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2020年、俳句甲子園は松山で開催されなかった。

これは、俳句が大好きで、俳句の創作活動を熱心にしてきたある人のお話です。

2020年4月、彼女は岩手県の県立M高校の3年生になった。

学校の部活動は、俳句の創作活動を行う文芸・短詩部に所属している。

文芸・短詩部の部員達の大きな目標は、俳句甲子園で優勝することだった。

俳句甲子園:「全国高校俳句選手権大会」は、1998年に始まり毎年8月に愛媛県松山市で開催される高校生を対象にした俳句コンクールのことである。そこでは、優勝、準優勝の高校、そして最優秀句(個人)が表彰される。

高校球児が甲子園を目指すが如く、俳句高校生も松山を目指して日々精進しているのだ。

当時彼女の高校は、俳句甲子園の常連校になっていた。
2018,2019年にも文芸・短詩部は、大会参加のため松山に行っている。高校に入ってから俳句を始めた彼女も同行したが、残念ながらその時は選手ではなく補欠だった。

次は自分たちが選手として大会に行く番だ!、みんなで全国優勝しよう!!と仲間で語り合っていた矢先、コロナが起きた。その年、松山開催はなくなりエキジビションとなった。

彼女は目標を失い、暗い気持ちで学校へ行けないときもあった。

そんな悲しい思いを心に残したまま彼女は高校を卒業し、隣県の大学に進学することになる。

ある時、大学から実家に戻る途中、街中の工事が以前に比べて増えているのに気がついた。

彼女はもともと、夕焼けの時分に眺める自宅の周りの街並み、風景が大好きだった。そんな街並みが工事で変わっていくのは残念な気がした。
その時の気持ちを込めた句が、 

”秋夕焼け工事だらけの陸奥よ” 

である。

その時彼女は松山のコンクールにはいけなかったけど、自分の手でこの街を題にして"俳句コンクール”をやろうと決心した。そしてすぐに行動を開始した。

”この町の魅力ってなに?” と書いた赤いポストを25個友人と作って、街中に設置させて頂き、俳句の投稿をお願いした。

結果、なんと250もの作品が寄せられた。

彼女は、それらの集まった句をとりまとめて自分で出版物として1冊の本とした。

分厚いものでは無かったが、立派な本となった。

辛かった経験が報われた気がした。

自分を、かなしい気持ちにさせた俳句甲子園の現地開催中止だが、そんな気持ちから自分救ったのも大好きな俳句だった。

ちなみに、彼女の残念だった年の2年後、ようやく再開された2022年の松山市での俳句甲子園に於いて、彼女の後輩が、個人部門で最優秀賞(文部科学大臣賞)を受賞した。

彼女の気持ちは後輩にも引き継がれている。

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