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雇われるということ

noteほぼ毎日投稿でもなくなり、noteたまに投稿になってきてしまった。疲れてどうしても書く気力がないときは無理して書かないことにした。

サラリーマンとして雇われて働くということをふと考えた。
自分の今の様な働き方は世の中では一般的で、決まった日に決まった時間働くことで、決まった給料が入るというもの。
時間と自分の体を雇い主に捧げることでお金が入る。
今の世の中的にはテレワークなどの仕事の仕方ので、体という肉体的部分の束縛は少しは減ったのかもしれない。が、自分の仕事にはそれはほぼ無関係でテレワークは全くないような仕事である。
なので、自分の収入的には自分の時間と体を捧げることで、お金をいただく仕組み。
それを考えるだけでもしんどいと思うのに、ふと考えていたら、自分の体だけでなく、心というか思考すらも捧げているような気がしてきた。
自分が良いと思ったこと、自分の正義は無関係で、その雇われている組織に適した考え方、結論の出し方をしなければいけない。

時間と体だけでも多いと思ったのに考えてみれば、心すら捧げているというのは、辛すぎると思った。
それも続けていると、その空間、環境で要領良くこなす為に、気づいたら自分は無意識にその環境での思考をするようになっている。

なんとか抜け出したいと思うが、考えてみると、世の中でお金を稼ぐという時点で抜け出したとしても、あまり変わらないのではと思い始めた。

結局、雇われた組織の中で働くのであれば、その組織に適した考えをしなければならない。
では、例えば独立して一人で何かを始めたとする。結局は世の中の誰かを顧客として持ち、その人達からお金を頂戴する。そうなると、その世の中のその人達にあった考え方をしなければならない。ということは、それが続いて、自分がトップだとしても、組織として、成長したとしたら、結局、その組織にあった考え方をしなければならなくなる。

ということは、今いる現状が不満だからと言って、今いる組織から抜けることは根本的な解決にはならないのではと思った。
もっと何か自分の根本的な考え方を変えない限りは、この負のループからは抜け出せないのではと思った。

自分は何かに縛られたくないとよく思う(まぁ多くの人がそうだと思うが)。
組織に属しているから自分は縛られているように感じているが、もしかすると、自分自身の考え方で自分を束縛しているのかもと思った。

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