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不妊様メンタル

不妊様、子持ち様。最近この単語をよく目にする。どちらも「私のことを気遣えよ」という態度の、子どものいない人/いる人のことだ。

去年子どもが生まれて、私は子持ち様になる権利を得た。だが、どんなに育児が大変でどんなに寝不足で辛くても「私のことを気遣えよ」とは思えなかった。子どもが公共施設でうるさくしたり、他人に迷惑をかけて申し訳なく、という理由もあるが、それが主ではない。私が不妊様だったからだ。

不妊様。私は何年も不妊様だった。
病院に通って治療を受けても妊娠しない。薬の副作用で太っていく身体。子どもがいないことで割り当てられる仕事。周囲からの子どもはまだなのという圧力。すべて「なんて自分はかわいそうなんだろう」と思うのに十分で、不妊様を醸成するのに十分な環境であった。

子どもを諦めて、不妊様となってしばらく経った頃、コロナ禍に入った。外出できなくなり暇を持て余した私は、再び子どもを持つことについて考え始める。30代半ば、タイムリミットがもうそこまで迫っていた。

ある日、とりあえず行ってみるかと婦人科に行った。そこである病気が見つかり、地元で1番大きな総合病院を紹介される。最終的にそこで1年半にわたって2回手術を受けることになるのだけど、その都度「妊娠を望んでいるか」主治医の先生に尋ねられた。これからは夫婦2人だけで生きていこうと決めた後だったので正直どっちでも良いと思っていたが、わざわざ手術するのに先生のやる気を削ぐのもなぁと思い「妊娠したいです」と答えていた。笑
ただ言葉とは不思議なもので、声に出すとその気になってくる。手術の度、診察の度に「妊娠したい」と口にしていたら、だんだんその気になってきた。そして不妊治療を再開し、運よく授かることができた。

子どもが生まれて人生が変わったとはよく聞くが、本当にそう思う。私や夫にこんな一面があったなんてと毎日のように驚かされる。ただ、変わらなかったものが1つだけある。不妊様メンタルだ。思っていた以上に不妊様メンタルは根深かった。私は未だに限られた人にしか出産したことを伝えていない。SNSにも上げてない。なぜか。不妊様メンタル、つまり「子どもが欲しくてもできない人たちに気遣いなさいよ!」と、心の中の不妊様が叫んでいるのだ。

不妊様がいちばん嫌いなもの、それは子どもとその親だ。いちばん欲しいのに、手が届かなくて、いちばん嫌いになる。いちばん嫌いなのに、いちばん欲しい。こじれにこじれまくっている。

その、いちばん嫌いだったものを、自分は手に入れてしまった。

どのようにしたら過去の自分との折り合いがつけるのだろう。いや、もう折り合いはつけられないと何となく気づいている。過去の自分と共存するしかない。過去の自分を認め、変化を受け入れる。白から黒にいきなり変わることは不可能で、グレーが濃くなったり薄くなったりしながら変化していくのだろう。

不妊様だった頃の私は、この手の不妊治療体験記を読んでいつもこう思っていた。
「でも、子どもできたんでしょ?」
子持ちになった今なら、こう返す。
「できたけど、心はあんまり変わらないよ」

私はこれからも不妊様メンタルを心に抱き続けるだろう。そしていつかは「産休クッキー」を笑顔で受け取る日が来たら良いなぁと思っている。


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