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定点カメラ#11 脚本完成

『キャンバス』はどのように作られるのか。定点カメラで観測してみよう。今回はその11回目。

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2022年8月7日

ついに脚本が完成した。

今まで何度も「これでいこう」「よし、これでいこうか!」と唱えてきたが、やはりどこかで納得いっていない部分があったのだろう。完成したというよりも、完成させたと表現する方が適切な気がする。

4月に内容を考え始めて、5ヶ月近く経った。あの鴨川のシーンは水野の家になったし、思い描いていたラストシーンも大きく変わった。シーンが増え、必要な撮影場所やキャストも増える。

人に読んでもらって厳しい意見も受け止めた。

「どこが弱いんだ?この脚本」

「挫折、だよなぁ。これじゃあ伝わらない。」

「観てもらえない。作品の意図が伝わらないとか?あと、描けなくなるとか」

「何で描けなくなるんだ?才能の問題?」

「本質的にはそうで無くても、描けないという状況の中で、本人たちはそう感じてしまうんじゃない?例えば、、、」

自分たちが絵を描いているわけでもないのに、彼らの心を知ろうとするのは無謀かもしれない。それでも近づくことはできるし、この映画制作に力を貸してくれたアーティストの方々もたくさんいた。やはりこの脚本はつくり手と共にあるべきで、そう言えるクオリティのものに一歩ずつ変化してきた。

脚本に一貫性はあるか、撮れるのか、そもそも、これは面白いのか。

完成すれば、これが多くの人の目に触れることになる。演じてもらう人や制作に関わる人、完成した映画を観る人。

撮影開始が1ヶ月後に迫っても、キャストのみんなに完成版の脚本を渡すことが出来ず、少し焦った。でもこの脚本を実際に表現するのは彼らで、この脚本を映画にしてくれるのは彼らだからこそ、丁寧に渡したかった。

評価されるだろうな。怖いな。

でも、自信を持って書いたんだから、きっといい作品になる。

「うわぁぁぁぁわかる!このシーンの意図、好きです」

「ここのセリフ、わかる。本質ですよね」

「あぁ、ほたるぅぅ」

協力してくれたアーティストから「素敵な脚本でした!」と言ってもらった時は、この映画制作が救われた気がした。

いい作品にしよう。アーティストとして共感してくれた人やつくり手のために。彼らが絵を描くように、私たちは映画を撮る。

この脚本が本当につくり手に寄り添っているか。それを知るためにはまず、、


文責:あきら

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