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20221013 薬を飲まない方法を考えてみる (過去の振り返り④)鬱になる理由

昨日は結局、夕方くらいまで頭が重く
寝込んで過ごした。
でも夕ご飯を作ることはできた。
(がんばった!)
メンタルではなく、身体の調子が悪かった。

そして今朝。
寝起きに若干の不安感はありつつも
体調はとても良い。
朝から身の回りの整理整頓をしたり
ちょっと近所を散歩できた。
良かった良かった。


そういえば一昨日から、夜に少しだけ
腹筋とストレッチをすることにした。
仕事に行かなくなってから、とにかく
動かない。
お腹周りが特に太ってしまい、先日
秋冬モノを出した時にスカートやら
パンツに足を通してみたらキツイ...

いきなりハードなことをすると、身体に
負担がかかるだろうし、多分続かない。
なので、軽い筋トレから。
でもすでに腰がちょっと痛いという悲しみ。


何事もスモールステップで進んで行きたい。



以下は今回のシリーズでの過去記事です。
①〜③までのリンクです。
(⑤で完了予定)

薬を飲まない方法を考えてみる (過去の振り返り①)双極性と診断されるまで↓


薬を飲まない方法を考えてみる (過去の振り返り②)退職から寛解まで↓


薬を飲まない方法を考えてみる (過去の振り返り③)現在の心境↓



さて今回は

私が鬱になる理由


について、書いてみた。

内容がの記事と重複してしまう点があるが
鬱が発症した頃のことを詳しく掘り下げる。

私が鬱になるきっかけで自分で気付いている
ことが大きくわけると2つある。

1.「仕事」で発生する「人間関係」



仕事は二つしか経験がないけれど
一つめのフルタイムの時も
二つめのパートタイムの時も
どちらも同じような理由で鬱症状が出てくる。

「仕事」
「人間関係」


それぞれ単体だけでは、しんどいと思うことは
おそらくそれほどない。

まず「仕事」について



以前、フルタイムで働いていた時の話。
ざっくり言うと接客中心の業務だった。

そして、結構な確率でクレーム対応すること
が多い職種だった。
理不尽なことを他人に言われることが多い。
それが辛くなり辞める、という人もいた。
でも何故か私は、それが1ミリもしんどく
なかった。


むしろ、クレームを伝えてくる客人に対して
気持ちに寄り添いながら話を聴き、問題が
解決するような提案をすると、態度が一変して
感謝して帰って行かれる場合が多かった。


その後も担当に指名してもらえたりという
こともあったりした。
それが仕事に対してのやりがいに繋がった
くらいだった。


正直、仕事そのものは好きだった。
あとはその仕事が向いていたのだと思う。
この頃私は


仕事=やりがいを感じながらお金がもらえる。
(楽しい)


くらいにさえ思っていたかもしれない。

そしてもうひとつ
「人間関係」

これはもしかしたら、自分は
他人との距離感が上手く掴めない
ということからの
ストレスがあるのかもしれないと感じた。


職場の人
知人
友人
家族

それぞれに距離感が違うことは当然のこと。
友人や知人は自分で快適な距離をある程度は
調整することができるような気がする。
苦手と思えば遠ざかることもできる。


でも、仕事の人間関係はその場から
逃げられない。
それが一番しんどい。



あとは、嫌われたくないという気持ちからの
距離感が上手く掴みにくくなるとも感じる。
これも、逃げられないからうまくやっていきたいという気持ちからだ。

職場にいる複数の人たちに対して
いちいち私はその人に合わせて変化しようと
してしまう。
そこには自分なんてものは1ミリもなくなる。
そのくらい勝手に振り回されてしまうのだ。
そう、それで気を遣いすぎて疲弊して
鬱コースまっしぐらになる。


問題は
「嫌われたくない」という気持ち。
それが強く働きすぎる。
それが適度な距離感を行方不明にしてしまう。


これは二つめのパートの仕事でも同じだった。


生きるために
「仕事をしなければならない」
という気持ちを持っている。
でもそれに関わる人間関係が無理だと
感じている。


そうなると、チームに関わらない仕事。
在宅ワークや自営業くらいしか思いつかない。


または思い切って仕事しないとか?
(それができたらな...)


ちなみに仕事以外の人間関係では
この悩みは不思議と発生しない。
ちゃんと自分で境界線をひけるから
だと思われる。




2.今のままではダメだという焦燥感


これは鬱に付随しているのかもしれないし
もしかしたら双極性の特徴なのかもしれない。

けれど私は自覚している限り、鬱発症前の
20代前半あたりからこの感覚が強くある。

現実に満足できなさ過ぎて、あれこれと
手をつける。
突き詰めたり一気に頑張りすぎる。
そして燃え尽きる。
どれも中途半端なまま、辞める。

頑張って何かを成し遂げなくちゃ
頑張って何かにならなくちゃ
という焦りが常にあった。
何かとは一体?という話であるが。


でもそれには根本的な理由がある。
なぜなら心の底には 

「ありのままの自分は愛されない」

という、強い無価値感
存在しているからだ。


これには幼少期の母親との
関わりが深く関係するらしい
ということを心理学の勉強を
通して知った。
何かに依存しがちな傾向があるし
承認欲求が強めなのも
それに関係する模様。

以上が私が鬱になる理由の大きな2つだ。
他にも細々とあるのだろうけど、今思いつく
のはそんな感じだ。
またあれば追加する。


⑤に続く
(やっと完結する)

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