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【Ave Maria~「聖域」から「煩悩」まで?"知らんけど"で責任逃れ?~】


世界中、数えられない位の音楽がある(はず)。
そして、作曲家は作曲するとき、気楽に作曲する場合もあれば、全身全霊で作曲することもあるだろうし、様々だろう。が、殊にアヴェ・マリアに関して言えば、どの作曲家も全身全霊、不敬があってはならじ!マリア様のためにすばらしい曲を!と並々ならぬ気合いで取り組んだのではなかろうか?(知らんけど…だってあの世の作曲家にインタビュー出来ないし)

さて、11月12日(土)NCBプロムナードコンサートにて、ティツィアーナ・ドゥカーティが披露する”聖母に祈る~というテーマのプログラム、個人的に興味深い。
シューベルト、トスティ、ドゥランテ、ケルビーニ、ヴェルディ、グノー、中には調べても音楽素人の私には、わからない作曲家もした。
ドゥランテ、ケルビーニ、音楽専攻でなくて、ご存知の方はかなりのイタリア音楽通に違いない(知らんけど…だって、ご存知の方がどなたかわからないし)

話を戻し、アヴェ・マリアであるが、本来はラテン語だったはず。

しかし、ラテン語でのアヴェ・マリアは、ラテン語の教養のある人たちにはわかるが、ラテン語がわからない人には、意味がわかるようで、わからないものだったらしい。
いわゆるお題目を唱える!ことになりがちだったと思われる。

それで、母語(イタリア語)でアヴェ・マリアを歌詞とし、歌う(祈る)と心の底からの祈りの歌になるのでは?というので、イタリア語のアヴェ・マリアの歌詞で歌われることも出てきたとのこと。

さらには、近代になると、アヴェ・マリアによっては、”アヴェ・マリア”と歌いながら、恋人のことを思い、マリア様にとりなしを頼む歌詞もあり、人間の「煩悩」(!)って、世界中どこでも同じだねぇと思った次第。
この"煩悩"が含まれる(?)アヴェ・マリアは、教会で歌われるはずはなく(もし歌ったら、懺悔せよ!と告解部屋へ直行になりそうな)、一般の"歌曲"みたいなアヴェ・マリアの位置づけなんだろうと推察する。
(知らんけど…あくまで憶測なもので)
".根拠"が希薄なので、「知らんけど」で責任逃れ!

11月12日のプログラムで歌われる曲を聴きながら、つれづれなるままに…。
アヴェ・マリアの魅力と今年の流行語のにノミネートされている「知らんけど」の便利さ(!)を知った11月10日…

#ティツィアーナドゥカーティ #NCBプロムナードコンサート #ソプラノ #大城綾子 #アヴェマリア #聖母に祈る

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