![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115785460/rectangle_large_type_2_cecd30942c3dd4c2d43305589ef28ca5.jpeg?width=800)
展示感想:竹淵愛留萌個展「真綿に包まれて」 gallery Face to Face
竹淵愛留萌個展「真綿に包まれて」行ってきました。
銅版と鉛筆・水彩画が中心でした。
〈真綿〉というのは、真綿で包むように育てると、真綿で首を絞める、二つを思い起こすような概念です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115820169/picture_pc_8a06805d97be778dd0d807e7a0689c87.jpg?width=800)
何かを認識するには、認識のためのフレームや前提が、支えになるのですが、逆にそれが、縛りや制約になる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115820681/picture_pc_a1458ce29ca385863827c98af29e36fa.jpg?width=800)
僕らは、明日への一歩へ追い立てらながら、二つの間を揺蕩うのです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115821268/picture_pc_ae22b61713820928c11b5e1e983c7d05.jpg?width=800)
自分であろうとすれば、自分を支えるフレームを壊したくなる、壊してしまえば、自分自身を危きところにもたらす。
この躊躇いに〈真綿に包まれて〉は、あると思います
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115821501/picture_pc_db51f9e30d0e5393695c310a849a645e.jpg?width=800)
自分を諦めてしまえば、表現は生まれない。でも、日々の行いは、自分の由来を上書きするための必然です。
ひとは空を飛べない、でも、でも、信じて走り続ければ何かにふれるかもしれない。
アートは、結果です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115822689/picture_pc_20e6eb7106e53ca0cc386c163a4774f5.jpg?width=800)
でも、そこまでの助走にこそ、ひとの真実はあるでしょう。
転んでは立ち上がる、滅んではフェニックスのように復活する。
苦しみや躓きが先行して、再生するように表現がある。
竹淵愛留萌、生まれ直しの啼泣の一声として、この個展は記憶されるかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/115822297/picture_pc_55787db3a90e0fc9c0ab041fef6ac7d3.jpg?width=800)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?