【画廊探訪 No.152】歩き見る階調の中に響く時計の針の音−―畠中彩展・・・VIVI24・・・に寄せて−―
歩き見る階調の中に響く時計の針の音
−―畠中彩展・・VIVI24・・ギャラリー フェイス トウ フェイスに寄せて−―
襾漫敏彦
そこに“ある”ものを受けとめ、誰かに伝えるということは、どういうことなのか。それは、どれだけ可能なことなのだろうか。模写とは、受けとめたものを、そのまま描くことだが、そもそも、そこに“ある”ものを、“あるがまま”に認めることができるのか。
畠中彩氏はメゾチントなどを主に制作する版画家である。彼女は広島の学校で油彩を学bぶが、そこでモノトーンのスケッチにはいり、色彩の多様さから離れた、銅版画、メゾチントの世界へと居を移していく。今回の個展「・・・VIVI24・・・」では、畠中は、木炭紙に鉛筆で描くドローイングの手法で、自分の主観の中で拾った二十四時間の風景を、写真をもとに表していった。
眼の前に“ある”ものと出会い、受けとめる。観察とは、写真のように見ることではないいし、認識は単純な投影ではない。ものは、そもそも人が見たように“ある”とは限らない。そして、それを表現したものは、更にずれていく。主観はどこか客観的であり、客観もどこか主観的である。
メゾチント、エッチング、鉛筆画、彼女は放射線状に広がる多様な色彩から逃れ、直線上の単色を選び、階調の差を使って、細密な表現を展開していく。それは、形の中にあらわれた音の響きを聞いているともいえよう。
素材は、方法によって姿をかえる。エッチングの黒は、形相の中に凝縮された質量を感じさせる。そして、メゾチントの黒は、霊気のようにわきあがる情感を伝える。今回の個展の中心の木炭紙の絵は、湿り気のある大気の黒の中に白が光として差しこんでいる。それは、時としてトランペットであり、クラリネットであり、ピアノである。
畠中は、身体の全てをもって、相手の全てと出会う。そして階調の動きを黒の描写で伝える。この修辞は絵画というより音として響いてくる。
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