〈画廊に行くようになって気がついたこと〉まとめ、31ー35
第三十一回
画廊での会話で、絵の大きさを話題にしたことがあります。
作品そのものの持つ質量感がもつ表現力や、その受け止め方の話ではなく、それを作成する作者の話です。
作品をつくる行為は作業ですから、身体を使います。大きな作品は、体全体を使って描きます。
教会の天井の壁画などは、脚立に乗って上を向きながら描くわけですから、そうやって全体をイメージしながらも細部を緻密に描くわけです。
今日、僕らは、写真やネット画像で、映像として簡単に見ることができますが、作品を通じた肉体と肉体の交流を失ってもいるのでしょう。
第三十二回
絵は作家の身体で描かれると、前回でも話ました。私がよく行く画廊では、ミニアチュール展と言って、手のひらにおさまる大きさの作品展も行っています。
ドールハウスの絵画のようでもありますが、機械ではないので、大きい物がそのままちいさくなったわけではないです。
手描きの限界というのもあります。
比較までにこの方の普通のサイズもだしておきます。
第三十三回
小さい作品を描くときは、机の上に肘をつきながら、描くのでしょうが、きっと、手首、スナップをきかせながら、描線するのでしょう。
縮こまりながら、自分のエネルギーを、小さな枠に投入していく。ミニアチュールの作品には、小さいだけでは収まらない何かを感じます。
絵描きは、同じ姿勢を長時間続けながら作業を続けるので、時には腱鞘炎にもなる人もいるようです。
第三十四回
絵を描く身体性の話を続けていますが、だいたいにおいて、油絵は、イーゼルに乗せて座って描くことが、まあ、一般的でしょう。
ただ、イーゼルに乗らない大作は、壁に立てかけて描いているのだと思います。
絵に上下があるので、気にはならないと思いますが、重力の方向感覚に、絵もアーティストも、制約されているということです。
絵を描くときの姿勢、立ち位置、技法の中で導かれる身体性も、どこかに忍び込んでいます。
第三十五回
前回、イーゼルに載せて描くことによる重力の作用の話をしました。
日本画は、基本的には、床に寝かせて描くのが、伝統的な描き方のようです。何故かはわかりませんが、おそらく、膠と混ぜてはいますが、基本的には、水彩ですので、垂れやすいということもあるのでしょう。
習字を縦の書画台に載せて書くことを想像してください。
ですから、いろいろな方向から、絵を観察しては直しをいれたと思います。
ただ、模写することを考えるとみている角度と作画の際の角度がずれますから、そこに修正も必要になるのでしょう。
ただ、最近は、床に置いて油絵を描いたり、イーゼルに載せて日本画を描いたりする作家もいますから、画廊でお話しできたら、聞いてみるのも面白いと思います。
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