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ふと

何十年も前に
仲たがいしてしまった友達にむけた独り言のような。


事実なんて事実にしかすぎない。
それを どうおもうか ではないのか?

と はきすてるように おもった 言葉を おもいだした。

パンドラの箱からは わざわいが 飛び出して あわてて蓋をしめたから 
希望 だけが はこのなかに のこったということをふと思い出す。



事実 とは 多数決のような気がした。
多数決で できている、考えの方向 という環境が 事実である。
(現実である。すくなくとも 自分の目にうつるまわりのひとにとっての 扱いやすい看板としての事実である。)
彼らにとって おそらく 本当の事実なんて どうでもいいのだ。
扱いやすい 事実という看板のような共通無意識のようなものを 代用としていて。
分析して割り出して事実をみようなんて、いちいち 思わないかもしれない。
自分の人生がこの世に周りの人からうけいれられて生きていくうえ、全く関係がなければ、事実なんて、どうだっていいのだ。まあ わたしもそうだろうしな。
はかりしれないところは はかりしれない。
性質が ちがうから、それぞれ わからないことは はかりしることが できない。
でも ささやかながら 給料は 稼ぎたいしな。マイペースでまえむきに 自分なりに 真面目にしごとをして すごすしかないな。
と おもっていたのは、
二十代 の会社に通っている時だった。

じぶんが  過ごす環境 というところの
多数決(周りのみんなが~かしらと共通して事実だと思っている) 事実 とされているもの
を 露骨に その 価値観を 浴びせかけられないようにするのには
対抗するためには。


まるで 
じぶんを 擁護する、まるで 抗生物質をばらまくかのような行動が必要となる。
風邪をひいたときに、 抗生物質を摂取して、
ウイルスと たたかうような。
ウイルスを おさえるような つよい 仕業。
あいての 生存権 食費 。すなわち 給料を ストップするというような
脅迫というような人参でもぶら下げる攻撃でもしなければ。


ああ 


どこか 悪いところがあったら 診断書でも 提出すれば、
会社で そんな 脅迫の仕業がない場合でも、会社から擁護してもらえるのかもしれない。


多数決によって 出来上がった 共通の無意識のような
かんがえを 露呈するのを さしひかえてもらえるようにするということは。

給料をストップするよという脅迫でもって 対抗しなければ。
多数決の共有無意識で決められた看板事実で一致団結している 環境 に 住むときに、 自分が、その考えと ちがうものが事実だと思っているときには、

給料を支払う側の権力者  を 味方にでもつけない場合は。
会社で すごすことなど できないのではないかしらと かつては おもっていた。



奇跡的に 

そのような 権力者とは しりあいには ならないまま
なぜか たいして 仕事のできない私も 
周りの価値観の強要にもあわずに
なんとなく 仕事を 続けることができた。。。

自分が思っているほど わたしは 事務仕事が 出来なかったわけではないのかもしれない。。。。
ただ

あまり、 めが じょうぶではなくて 疲れ目になりやすいから、
いっぱいいっぱいで ひとよりは 
仕事を して かえってくると 

かなり 疲れているのだろう。

そんな 連想をいくら 脳がせいちょうしきってはいないといわれている 二十代だとは言え、
ふと おもいつくだけでも 愚かだ。った。な。

いんだかわるいんだか 、反省したほうがいいんだか 反省しなくてもいいんだか わからないけれど

そういえば 総会屋とは 会社をゆするのであろうか。
給料を払う側とは、株主のことでもあるのかな。?

あたまがわるいから ゆすりとか きょうはくとか
生存権のストップとか いうようなお話をかんがえても
せんそうとか 世界状況とかの おもいには、
いんぷっとも すくないし いっさい 連想はできない。
けれど
そういえば 黙らせるとか
事実を どのように そうさするだとかは
権謀術数を くしして 
いろいろと 世界を うごかして いるおかたが
おられるのだろうかな。



昨日は眠れたけれど おとおいも そのまえも そのまえも
めがいたくて 夜中に苦しんだ。
で 視力も めがいたいままで 悪くなり と
めの違和感ばかりに 気を取られている私は
眼科は今日はあいていないし すこし 午前中は へこんでいた。