令和5年10月31日、宮沢賢治を読む。

画像1 今日も近くに。有り難う。
画像2 NHK人間大学の宮沢賢治(1996年4月〜6月)の冊子を読んだあと、実家にあった、もう捨てられかけの文庫を持って帰りました。こちらは1992年「新潮文庫の百冊」の一冊。「宮沢」りえさんが帯などに。……短編童話を数篇読みました。賢治の、小さき優しき善良なるものへの眼差しがよく伝わってきます。
画像3 今日も晴れ。古本まつりは明日から。
画像4 今年はカメムシが異常発生なのですか? TVを入れてないので、人伝に聞きましたが。
画像5 宮沢賢治を読んでいると、何だか少し寂しくなってきました。賢治の世界では、虫もカエルも人と同じです。私は去年と今年、極端に小さきものとの触れ合いが少なかったです。寂しさはそこから来るのでしょうか。
画像6 この、魂を抜かれたように心細い状況を、幻想として見抜き、まことの眼差しであらゆるものを見たいと願います。
画像7 明るいイメージ、ビジョンで、自らの心を満たし、必要のない憂鬱を押し出してしまう、という信念を持ちなさい。
画像8 「カイロ団長」に、「全てあらゆる生きものはみんな気のいいかあいそうなものである。決して憎んではならない」という、謂わば神様の言葉があり、酷い目にあったあまがえる達は、騙したとのさまがえるを赦し、愛を与えます。正に、これはニール・ドナルド・ウォルシュさんが対話した神様の呼びかけと通じてます。やはり宮沢賢治は神の呼びかけにいつも耳を傾けていたのでしょう。そして、それは誰でも、その意志を持てば、得られるものだ、と。今日はまたささやかな学びがありました。

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