昨日(令和3年11月4日)の堅田行きの物狂おしさが残ってます。

画像1 1984年11月4日に、初めて堅田を訪れました。四人ででした。その後はほぼいつも一人です。昨日、すごく物狂おしい思いであっぷあっぷしました。生きてること、感じること、考えること、これらのことは、最終的にどういう意味をもって完結するのだろう、と思わざるを得ません。
画像2 大津市のマンホール蓋、その1つのパターン。イーゴスと思われる観覧車が描かれたものが、まだあちこちに残ってます。新しいシンプルなのもあるし、いつかはこのパターンが消える時も来るのでしょうね。
画像3 びわ湖タワーが閉園して丸20年、最後に残った遊具の跡。バンパーボートと呼ばれるものだったようです。プールがあるだけで、ボートは残っていません。
画像4 フィルムカメラの時代から、出島(でけじま)の灯台を、この角度で膨大な枚数撮りました。初夏のも良いですが、11月4日のこの絵が良いのです。
画像5 繰り返しになりますが、どこへ行ってもキンモクセイの見事なヴィジュアルと香りで、ノスタルジック感が倍増しました。晩秋の陽射しが香っている感じでした。
画像6 2001年8月31日の最終日にも、この切符売場に並び、イーゴスに乗った、と思ってますが、最終日を含め、最後の3日ほど無料でしたかね。ものすごい行列に並んだことだけは覚えてます。
画像7 例えば、10年後、ここら辺りはどうなってるのでしょう。30年見てきましたが、私もいつまでここに来られるのでしょうか。そう思うと感傷的になって仕方がなかったです。
画像8 息苦しい堅田行きでした。個人的な感傷と現在の不安定さを吐き出し続け、申し訳ございません。堅田に恩返しがしたい、その気持ちはずっと持ち続けながら、ペーパーにすること以外で何にも形になってません。何かを動かしたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?