Yes We Can | 私が大切にしている教え
Yes, we can.
この言葉に聞き覚えはないだろうか?
2008年、バラク・オバマ氏(当時は大統領候補)がアメリカ大統領選挙で用いたスローガンだ。
べつに彼に影響を受けたからというわけじゃない。ただ、仕事において、いつもこのことを意識している私がいる。まさに私の"大切にしている教え"と言えるだろう。
いつの時代もそうだが、上司や先輩からこんなことを尋ねられることはないだろうか?
私は、深く考えず、一旦「できます」と言ってしまう。
本当に出来るかどうかは正直わからない。だけど、まずはその場で「できます」と言い切るようにしているのだ。
今日はこのことについて書いてみようと思う。
Yes We CanはWe Do Allではない
私は仕事柄、契約書の内容をパートナー企業、法務、海外の購買部門等と調整することが多い。私自身は自部門のビジネスに対するプロフェッショナルではあるが、契約書に関する専門家ではないので、関係部署に確認しないと正確に判断できないことが多々存在する。
こんなシーンで、多くのビジネスパーソンは確実な方法で調整をしたがる。契約書のような専門的内容は、その道の"プロ"(つまり、法務、グローバルの責任部署)にそっくりそのまま聞くことによって、確実な判断を得ようとするのだ。
しかし、そういった行動を私はあえて選ばない。
まずは一旦自分の中で中身を必ず精査する。そして、「ここはパートナー企業の意見も理解できるな。」と思うところについては「この変更、承知しました。」と言い切ってしまうようにしている。そのような調整方法を、各パートナー企業はもとより、社内関係部署とも行っている。
一見、二枚舌のように他人には映るかもしれない。「そんなことしたら、結果的に調整がつかなくなるのでは?」と感じる人もいるかもしれない。
でも実際は逆だ。この手法を使った方が調整は却って早く終わるし、ステークホルダーとの信頼関係も爆上がりするというのが私の実感だ。
大切なことは何か?それは、いつもいつでも、自分は誠実に、そして真摯に、「私は、あなたの意見に耳を傾け、その意見の実現のために行動しますよ」という姿勢を見せることだ。
前言撤回なんて全く問題ないといつも思っている。私たちは政治家ではない。
実際にできることは、行動した結果に基づいて微調整していけばいいのだ。
前言撤回自体が悪いのではない。本質的に大事になるのは、心から「私はできる」と信じて、それに向かって本気でただひたむきに行動することだ。
日本人がYes We Canを言わない理由
翻って日本人は慎重な人が多い、「できます」と言ったことを後で「やっぱりできませんでした」ということに対して必要以上に恐れを持っている人たちがいる。
彼らは「『できなかった』という結果によって、自分の信頼が失われるのではないか?」と怯えている。だから危険な賭けには出たがらない。「『できます』と言い切ってしまうのはリスクだ。」と考えるのだ。
でも、悲しくも現実世界はこうだ。
「できます」と言った人が勝つ。
「できません」と言ってしまった時点でゲームセット、挑戦の機会はその瞬間に失われるのだ。言い換えるなら、それは、リスクを取らない行動である一方、チャンスを自ら放棄する決断。ひいてはそれが次のリスクを生む機会へと変化していくだろう。
だから、人生に、仕事に、失敗したくないのなら、却ってこう言う方がいいのかもしれない。
「やってみたけどできませんでした」
「やってみた結果、100%の実現はかなり難しいということがわかりました。」
これは、全然ありだと思う。
しかし、一定の日本人はやってみる前に考えすぎてしまう。「これは今の自分にできるだろうか?」と。
Yes We CanがYes We Didをつくる
子育てでも同様の場面があるだろう。
私の経験を話せば、我が子が誕生した2015年、妻からよくこんなことを言われていた。
当時はまだまだ男性の育児休業は今ほど多くはなかったし、仕事もオフィス出社が当たり前だった。でもそんな中でも、私は妻に対して「Yes, I can.」を言い続けた。
やる。なんとか実現する。育休も絶対に取得する。
実際私はこれらをなんとか達成した。
これは「できそうだから」と思って言ったのではない。「きっとできる」と信じて、自分の腹を括っただけのことだ。
「やります」と言ったからにはやらないとカッコ悪い。やらなかった時に失う信頼は計り知れない。自分が言い切ってしまったことにより生じたプレッシャーが、私の心を推し進めたのだ。
仕事でも同様だ。
2018年、私はひょんなきっかけで、とある学会でのプレゼンテーションを依頼された。開催の1週間前に。当初予定されていたプレゼンター(つまり私への依頼主)が急遽プレゼンできなくなったのだ。
200人近い聴衆を目の前にプレゼンをする。しかも、他人が作った資料を使ってのプレゼンテーション。「流石にこれは無理かもな。」と一瞬ネガティブな感情が頭をよぎった。
しかし、気づけば私はこう返事を返していた。
結果的にこの機会は、私の糧となった。なんとこのエピソードは、今の会社に転職する際の強力な自己PRの1つとなったのだ。まさにわらしべ長者的なものへと進化したのである。
今を生きる。Yes We Canで
これが今の私自身だ。
世の中不合理なことがたくさんある。やってもやってもうまくいかないこと、思い通りに進まないことも五万とある。
全てが思い通りにできるわけではない。
けど思う。Yes We Canと自分を信じて進むことは、結果的に私自身のスキルを豊かにし、生活を豊かにし、そして心を豊かにしてくれるということを。
Yes We Can
この一言を胸に、今日も私は生きていこう。そして素晴らしい、輝かしい未来の私に会いにいこう。
そう、未来はいつだって希望に満ち溢れているのだから。
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