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今をどう生きるか? | 知人の消息不明を胸に

それは突然の知らせであった。

「たかっしさん、以前◯◯さんとお仕事一緒にされてましたよね?」
「実は・・・、◯◯さん、週末から行方がわからなくなっていて・・・。」

心の中に衝撃が走った。

いろんな独り言が頭の中によぎる。

まだ年齢を考えると認知症とかそんな歳じゃないな。
仕事熱心な人だったよな。だとすると・・・
いやいや、あの人に限ってそんなことはない、もしかすると誰かに連れ去られたのか?!・・・

相談者に返すチャットの手は少し震えていたように思う。

自分の知り合いが蒸発する

こんな体験は初めてだった。ただ、以前にも両親から聞いたことがあった。両親の知り合いの娘さんが、海外旅行に行ったっきり行方がわからなくなってしまった、ということを。

みんなきっと生きている、きっとどこかで元気に暮らしている、そう思いたい。だけれども、目の前から忽然と姿を消してしまった事実は、残された家族に大きな衝撃を与えるのは間違いない。職場の同僚然りなのかもしれない。私には想像できない、その衝撃がどれほどのものであるのかを。でも間違いなくこう言えるだろう、それはその家族や同僚にとってこれまでの人生の中で最も衝撃的な、自身の価値観を揺るがす出来事の1つになるであろうということ。

少し調べてみた。いったいどれくらいの人が年間で行方不明になるのか。結果は以下の表の通り。

令和3年における行方不明者の状況 | 警察庁生活安全局人身安全・少年課 資料より引用

実に約8万人もの日本人が年間で行方がわからなくなっている。この数は決して少なくない。

原因や理由。これもこの資料に載っていた。

明らかに犯罪だったというものは少ないが、「その他」と「不祥」がこれだけの数あることを考えると、知人が突然行方不明になる可能性は誰にだってありえることと言えるだろう。

私の妻や子供だって、今日、明日から急に行方がわからなくなることだってありうるのかもしれない。またそうでなかったとしても、交通事故等によって命を急に落とすことはいつだって起こりうるのだ。

そう考えると、日々、この瞬間が、私の大切にしている人との最後の場面になる可能性は常にあるということだ。そのことをいつも念頭に置く必要があることを改めて感じずにはいられなかった。

だとすると、私は今をどう生きるべきなのだろうか?

まずは自分自身が今いる周りの人たちに、心からの愛情を持って生活していくことなんじゃないだろうか。

「おはよう。調子はどう?」
「今日はどんな1日?仕事(勉強)頑張ってね。」
「今日もいい1日を。」

そんなちょっとした会話。でもこれこそが、日常サイズのちょっとした愛情なんじゃないだろうか?

そして自分自身も笑顔になる。

「おかげで昨日はスッキリ眠れたよ!」
「今日のジョギングは朝日が最高だったよ!」
「今日の夕飯は6時に渋谷ね!」

そんなポジティブになれる対話。いつもいつもは難しい。それはわかっている。でも思う。もしこれがその人との"最後のとき"になるのなら、なってしまうのなら、私は涙ではなくこんな笑顔を届けたいと。

だからこう思う。

ヒトに優しく_。 そして、自分に優しく_。

ただこれだけを胸に、今を生きていこう。

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