丹後織物 禊の儀
2023年3月22日、「丹後織物禊(みそぎ)の儀」に同行させていただきました。
1.禊の儀とは?
古くから織物業で繁栄した丹後地域。
地元の織物業者の有志で結成された丹後織物禊の会が行う「禊の儀」とは、そんな織物と養蚕の神様へ感謝をし、織物業のさらなる繁栄を祈願し行われる祭礼です。
この祭礼は、「祝詞奏上」「福機(ふくばた)選定」「日本海でのお清め」の大きく3つのパートで構成されています。
そんな禊の儀、さぞかし歴史ある行事なのだろうと思い、関係者の一人にいつ始められたのかを聞いてみたところ、まさかの12年前!と以外に最近ということに驚きました。
禊の儀が行われる網野神社では、大正14年以降、旧本殿を「蠶織神社(こおり神社)」として、お蚕さんへの感謝と織物業の繁栄を願う祭礼「蠶織神社祈願祭」が執り行われるようになりました。
そして、丹後地域で織物業が盛んになるにつれ、昭和26年からは祈願祭と合わせて「ちりめん祭り」も開催され、有志の機屋さん達が蠶織神社に反物を奉納してきました。このように反物を奉納するという儀式自体は古くから行われていましたが、従来その奉納した反物は儀式の後、機屋に戻されていたそうです。
そこで機屋さんの一人が「実際に神社に奉納出来ないか?」と提案したことがきっかけとなり、現在の「禊の儀」の形が完成しました。
2.福機(ふくばた)を決める
日が沈み辺りが暗くなってき始めた午後6時頃、
禊の会のメンバーが少しずつ網野神社に集まってきました。
実は意外と地元の人でも禊の儀について知っている人はわずかしかいないそう。
周りに見物客の姿は1人もなく、全身きっちりと着物に包まれた数人の関係者のみが、夕暮れ時の薄暗闇の中オレンジ色に照らされた本殿の灯りに向かっていく姿は、何ともミステリアスかつ神聖な雰囲気でした。
いよいよ第12回禊の儀が始まります。
初めに西川宮司より祝詞が読まれ、その後全員で声を合わせて「大祓詞(おおはらへことば)」が読み上げられました。
続いて、管みくじがまわされます。
この菅みくじには実際に機織りで使用される管が入っており、赤い管を引いた機屋がその年の福機となり奉納する生地を織りあげることになります。
福機となった事業者は約1か月間という短い期間で反物を織りあげ、4月に行われる祈願祭でそれを奉納します。
奉納された反物はその後おみくじの袋として仕立てられ、網野神社に参拝に来られた方々へ‟福が分けられます”。
今回福機となったのは、柴田織物の柴田祐史さん!
福機となった機屋さんにはこの後短期間の中で一反織りあげるという、かなり大変な作業が待っています。
3.極寒の海で身を清める
禊の儀のクライマックスは、3月といえどまだまだ冬の寒さが残る日本海に入水し、身も心も清めるといったもの。
午後8時、網野神社から八丁浜へ舞台を移し、さっきの着物姿とは打って変わって、ふんどしやパンツ一丁となった機屋さんたちが寒さに身震いしながらぞくぞくと集まってきました。
ハイビームで照らされた浜辺には海に向かって結界と竹の灯台が。
神社が海での禊を行うには特別な免許がいることから、これもメンバーたちの手作りでセッティングされました。
「舟漕ぎ」という神道の禊のための作法に則って、皆で「ヨイショー!ヨイショー!」という掛け声と船を漕ぐ動きを合わせます。
そして、いざ極寒の海へ…!
「祓いたまえ、清めたまえ…」と何度も唱えながら首まですっぽり海の中に入り、また浜へ引き返します。
最後にまた結界をくぐり海に向かって皆で一例。
これで禊の全ての行程の終了です。
4.禊の儀を通して
今回地元でも知る人ぞ知るという超ディープな祭礼「禊の儀」を取材させていただき、メンバーの皆さんの丹後の織物の文化・伝統を今後も残していきたいという強い想いを感じました。
そして、地元でも丹後の織物についてあまり知らない/関心がないという方が増えてきている中、このような想いの詰まった「禊の儀」についてもっと多くの方に知ってもらいたいと思いました。
さらには今後地域内、国内に留まらず海外にもこの新たな伝統が発信されるとにより、丹後の織物文化を守り続けようと試行錯誤する機屋さん達の情熱が伝わるきっかけになればと願います。
4月の祈願祭では今年の福機となった柴田織物さんが織りあげる反物が奉納されますが、どのような仕上がりになっているのか見るのが楽しみです。
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