2022年5月17日

オザケンにはまっている。オザケンがラブリーと歌っていた頃、僕は高校生だった。軽薄で、ひ弱に思えた。当時僕は野球部で、硬派で強いものに憧れていた。軽薄でひ弱なものを嫌っていた。自分が軽薄でひ弱だから。だからオザケンは似たところがあるゆえに遠ざけているような感じだった。(今思うと似たところがあるというのもおこがましいけど。)
とはいえ、「強い気持ち」とくれば、「強い愛」と言ってしまうし、カローラ2には乗ってないけど口ずさめるし、僕らは旅に出るし、愛し愛されていきていたい。なんだかんだでオザケンの本質じゃなくて、表面的な部分、テレビに出てる部分は僕にもちゃんと染み込んでいて、特異ではあるけれど、しっかり世の中の大通りを歩いていた人なんだなあと思う。というか多くの人の心を捉えていたのだと思う。表面的であろうが、なかろうが。オザケンのタイトルはどれもわかりやすくキャッチーだ。
で、改めてオザケンの歌詞を読み、メロディを聴き、映像を見て、なんだかはまっているのだ。天気読みとか全然知らなくて、ファーストアルバムはこんなにかっこいいのかと思ってしまいました。あとライブがシンプルでかっこいいのですね。

わかりやすい言葉で流れる風景を歌い、立ち止まり考える。また歩き、立ち止まり考える。そうしている間にも地球は回り、太陽がのぼるまたしずむ。世界は神様の仕業としか思えないぐらいに規則的で、変で、美しくて、素晴らしい。流れていく風景のなかには、恋や愛や、結婚やクリスマスや、ほろ酔いや、甘いキスも当然あって、やっぱり世界は美しくて素晴らしい。
輪廻や無常という言葉が浮かんできたり。まあオザケンがどんな気持ちで歌っていたのかはわからないけれど、今再会できてうれしいです。

いちょう並木のセレナーデを聞いていて、なんだか死んだ人が宇宙から微笑みながら、地球で生きていた当時を思い返しながら歌っているようだなと思ってしまった。

今朝は、野良猫の足取りが軽かった。

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