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異色の脳外科医、Dr.まあやさん

突然ですが、皆さんは表題の写真の方をご存じですか?

私がこの方を知ったきっかけは、NHKの『ドキュメント72時間』という番組です。

『ドキュメント72時間』は3日間、つまり72時間、ある場所を撮影し続けて、そこに集う人々の人生模様を切り取っていくというテーマの番組です。

最近はほとんど見てないのですが、数年前まで好きで結構よく見ていました。

大宮の喫茶店とか、秋田のうどん自販機とか、函館のラッキーピエロとか、今でも記憶に残っている作品が沢山あります。

その中で、新宿の郵便局を取材した回(番組タイトル『消印有効 24時間マンモス郵便局』)があり、そこでたまたま荷物を受け取りにきたのが、上の写真の女性です。

レインボーカラーの髪だし、かなり大柄な女性で人の目を引きます。

いくつかやり取りがあった後、取材陣が「ご職業は?」と聞きました。
何かのクリエイターとかかな?なんて私が思っていると、返ってきた言葉が、

「いちおう医者やってます。脳外科医です」

とな。

「脳外科医ぃ~⁉めっちゃ賢いやん。でも、このビジュアルで⁇」


驚きました。

話によると、医者の傍ら、趣味で洋服のデザインをなどをしているそうで、自分の細胞の光学顕微鏡写真をプリントしたTシャツなどを見せていた記憶があります。

面白い人がいるもんだと思いました。
けれども、TVにスポット出演した一般人のことなど、いつまでも覚えていません。

すっかり忘れていた数年後のある日、私はまたドキュメント72時間を見ていました。

その日の取材場所は新宿の生地屋さん、『オカダヤ』です。

タイトルは『生地とボタンと私』でした。

私も東京に住んでいる時、渋谷の生地屋さんとか、蒲田のユザワヤとか通って、ワンピースやがま口バッグなど色々作っていたので、興味津々で視聴していました。

すると番組中盤で、取材陣に声をかける女性がいました。

「また遭遇しましたね!」

私も画面を見ながら、

「あっ!」と思いました。

まるで街で偶然知り合いに会ったような感覚です。

そうです、その女性とは、あの新宿マンモス便局のド派手な脳外科医です。

同じ番組に2回も偶然出るとは、この人は「持ってるなー」と思いました。

洋服作りは継続しているどころか、益々発展しているようでした。

これが、2017年のことです。


それから更に5年たった昨年のある夜、ベッドに入ってウトウトしてる時に、何故か、あのド派手な女性の顔が頭に浮かび、「あの人、今どうなってるんだろう?」と気になって、寝ながらスマホで検索していたら、ヒットしました。


お名前は折居麻綾さんというそうで、今はDr.まあやというニックネームで活動されているそうです。

えらく有名になられていて、ビックリしました。
そして昨日、こんな記事を目にしました。

プロフィールにバッチリ生年月日も載ってる。

もう、これは命式調べるしかないっしょ!ということで、見てみました。


(一番に目が行くのは調舒星3つですね

真っ先に目が行くのが調舒星×3ですね。


調舒星3つは鬼仏同宮といって、一人の人間の中に鬼と仏が同居すると言われています。

味方にすると心強いけれど、敵に回してしまうととても怖い人という感じです。


私の本業の方での師匠的な存在の人に、この鬼仏同宮があります。普段は大変情に厚く優しいのですが、自分の理念に反する行いをする人に対しては、それがたとえお客さんであっても怒鳴ったりしていました。それは自分に不利益があるから怒るではなく、自分が大切にしている他者に被害が及ぶから抗議するのであって、そうなると相手が誰であろうと容赦ないという感じです。


そして仕事は徹底的にやります。完璧主義ですね。

この師匠的な人も、私の業界ではかなり有名になっています。


さて、Dr.まあやさんに話を戻します。転載した記事の中で、こんなことをおっしゃってます。

 まず、なぜ医師になったのかと理由を聞くと「私、変わった人生だったので」と切り出し、衝撃的な過去を明かした。
「3歳のときに両親を捨てました。母と合わないことに3歳のときに気付いたんです。両親は仲が悪く毎日ケンカ。私は特に母が好きじゃなく、岩手の祖母が東京に来た時、祖母に『ここにいたくないから岩手に連れて行って』と頼んで岩手に行き、そこで暮らすようになりました」  なぜ母が嫌いだったのか。 「近親憎悪です。性格が似ているんだと思います。何を考えているかよく分かり、逆に合わない。すぐ衝突しました。母はすごく気分やで、幼い頃、私が話しかけると『考え事しているから話しかけないで』と言う人でした。幼いながら顔色をうかがいながら生活するのが本当に嫌でした」


これを読んで、生日天中殺か生年中殺があるのかと見ましたが、ありませんでした。

でも、生月天中殺はありました。

これは物の考え方が普通でなくなるという作用があると同時に、家系中殺です。

この人は午未天中殺なので、本来は親の後を継げるのですが、生月天中殺があると逆の意味となり、継げなくなります。

その代わり、他家に養子に行くと開運します。

この方、3歳で親に見切りをつけて、祖母の家で育ってますよね。

もう、お見事!としか、言いようがない運命開拓法。

でも、それを3歳で成し遂げるとは…天才ですな。

この天才性は、月柱が壬午の異常干支だからかもしれません。
また、若年期天極星ですから、直感が働きます。


このようなクセのある命式の方が、所謂一般的に幸せとされるフツーの人生を選択すると、大変苦しいものになっていたでしょう。

調舒星は芸術の星ですし、命式と環境を見事にマッチさせた成功例ですね。

これからも目が離せません。

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