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先が見えなくて不安なとき

今日の午前中、お世話になった病院の先生やリハビリの方たちに手紙を書いた。
手紙を書こうと思ったきっかけは、去年修了した大学院で書いた論文が完成し、ふと、一番大変だったときに助けてもらった先生たちに読んでもらいたいと思ったからだ。
わたしが入院していた病院は、実家から徒歩10分ほどのところにあり、そこで妹は作業療法士として働いている。(いまは育休中)
その妹が、書類を提出する関係で今月病院に行くと言うので、そのときに論文と手紙を先生たちに渡してもらおうと思いついた。

論文のテーマは、頸髄損傷者の退院・退所後の生活について。
手紙を書きながら、やっと、やっと恩返しできる日が来る(*^^*)そんなことを思った。

思い返せば、入院しているとき、ベッドに横になって天井しか見えなくて、先が見えない未来をどう受け止めていけばいいか、向き合っていけばいいか、考えても答えが出ないなかでただただ言い聞かせていた言葉がある。

「来年の今頃はきっと違う景色が見えるはず。」

どう頑張っても変えられない現実に向き合うことなんてできなくて、いろんな感情を無視して「きっと違う景色が見えるはず、見せてやる。」って言い聞かせていた。

入院生活を送りながら、お医者さんってすごいなとか、看護師さんって本当に天使だなとか、PTさん、OTさん、STさんってこうゆうお仕事をするんだとか、准看護師さんの動きとか、お掃除のおばちゃんとか(おばちゃんって言って良いのかな(^^;))。
そこで見えてくる人間関係とか、患者さんへの接し方とか、見えてくるものがたくさんあった。
こういうこと言われたら嫌だなとか、自分の性格的には大部屋と個室どっちがいいのかなとか、自分の感情をどこかに置いておいて周りを観察していた。今思うと、嫌な患者さんかもしれない。笑

話がまとまらなくなってきたけど、ドン底にいるときこそ、この経験を絶対に無駄にしない、何かにつなげる(世界仰天ニュースとかアンビリーバボーに出て、入院生活や怪我とどう向き合ってきたか伝えようとか、本を出そうとか考えていた。)、これで終わりにしないって思うようにしていた。

そして今日、手紙を書きながら、14年という長い時間がかかったけれど、あの時に感じていた想いや言葉にできなかった気持ちをやっと「なにか」につなげることができたかなと感じている。

自分自身の力ではどうしても変えられない状況や困難にぶつかったとき、気持ちはただただ落ちていくばかりだけど、そこで自分を助けてくれるのも自分自身。
未来が見えないなら、自分で未来を描いて、その描いた未来から今の自分に話しかければいい。
今と向き合いたくなくて、投げ出したいときは未来の自分に話しかければいい。

「来年の今頃は違う景色が見えるよ、見せてあげるからね」って。

そんな今も、悩んでいることや生きづらさを感じることがある。
けれど、この生きづらさも、「なにか」につなげよう、つながるって思えば前を向ける。
きれいごとかもしれないけど、自分が感じた苦しみや生きづらさを誰かの・なにかの役に立てようと思うことで、わたし自身が救われている気がする。
逆を言えば、そう思わないと、苦しいときを乗り越えて来れなかった。

今日は8月8日、ばあちゃんの妹の誕生日です。
昭和8年8月8日生まれ、88歳。
8が5つ…!!!

最近ゾロ目を見つけると幸せを感じるももこもこもこでした♪

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