2020年7月 小菅紘史
美しい雲の流れに思考が180度転換してしまった。
小菅紘史 第七劇場(三重県津市美里町)
インタビューという対話は、その過程で取材者と被取材者共に、話す前までは持ち得なかった考えや、言動の理由に気づかせてくれることがある。小菅紘史が過去を遡る過程で何度か発した「あぁ、繋がって来た」という呟きは、足場を確かめつつルート取りする“記憶の登山家”のようだった。
建築士と美術教師の両親からアートやアウトドア体験を存分に与えてもらった幼少期。シャイで常にクラスを傍観し、グループなどに属することを良しとしなかった少年期。思春期以降は善悪や美醜、男女、多数派と少数派、黒と白など世間の線引きの外で、両方を体験すべく行動したという。
「わざと女性っぽい喋り方をしてみたり、夜更けの盛り場を歩いてみたり。遊びではなく、自分にとっては“本当はどうなってるの?”という世の中や人間への、疑問を確かめるための行為でした。そんな僕を、親が咎めず見守ってくれたのは有難かった。勉強は全然しなかったのに(笑)」
「世界の構造」に興味が強かった小菅は、より広い場を求めて進学時「青年海外協力隊などの仕事に就けるよう」と国際関係学部のある大学を志望。ここまで30分、俳優を志した契機を思い出せずにいた小菅は突然、この時期に「イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー『リア王』公演に、道化役で真田広之が出演した」記事を目にしたことを思い出す。
「単身海外の老舗劇団に乗り込み、頑張っている姿に感動して記事を切り抜き日記に貼った。そこから演劇への興味も湧き、大学合格後の休みは観劇三昧。その中で同じRSCの『マクベス』来日公演を、感動して4回も観た挙句、大学最初の夏休みに演劇の本場を見ようと渡英しました(笑)」
極端というか純粋というか。小菅は自身の命ずるまま行動する。「色々な価値観に揺さぶられながら生きたいと」という彼の歩みはだが、09年、公演中にアキレス腱断裂の大怪我をしたことで一旦止まることに。
「病院のベッドで見上げた窓の外に、雲がただゆっくり流れていた。“こういう美しさに気づく生き方をしなきゃダメだ。所属先を持ち、根を深く張る活動や暮らしをしよう”と180度思考が転換したんです。で、当時誘われていた第七劇場(鳴海康平主宰)に参加することにしました」
人一人の生き方を変えた空と雲、スゴいぞ。鳴海は、4年後の2013年には東京から三重へと劇団の拠点を移しており、小菅も移住。
「鳴海さんが影響を受けた利賀の鈴木忠志さん、先輩の宮城聰さん(静岡)や中島諒人さん(鳥取)も地域に拠点を移していたし、僕も東京一極集中に疑問を持っていたので移住に抵抗はなくて。風呂もない現場に寝泊まりしつつの、自力のアトリエ造りは楽しいけれど、相当に過酷ではありました(笑)。
あと、俳優自身から滲み出るもの、というものがあるとして、未知の環境に生活ごと飛び込んで、自分自身から滲み出すものがどう変わるのかも知りたかった。鈴木さんのSCOTの劇団員や、田舎暮らしをする舞踏家の先輩などの存在感は魅力的でしたから」
趣味で続ける登山も、そんな“突き詰めた極限状態”に身を置くことで自分を確かめ、問い直すために必要なものだとも。
「物事に向き合う時、なるべくプリミティブ(原始的)な方法や状態を大切にしたいんです。料理でも、同じ小麦粉からならパン以前のピタを作って味わうようなことを敢えてする。素材の味もよくわかるし、その先に繋がっている、パンや菓子の職人への尊敬も湧いて一石二鳥です(笑)。
つくる、食べる、表現する、伝えるなど何事においても、最初にそれを実行した先人の想いや成り立ちを想像する余地を、普段から自分の中に持っておくことが僕は非常に大切だと思っていて。演技も同じで、心理学者が『心』を発明する以前から演劇はあり、ならば心理や感情に依拠しなくても役は演じられるはずですよね? そんな、既存の体系や論理を解体しつつ、名づけられていないものを探すのが、僕にとっては面白いこと。一つの主張とその反証、どちらも否定せず、二つの間のグラデーションにどこまでも細やかに反応して、あらゆる可能性を捨てないことも大事かな。どちらにせよ、必死に山登って山頂に着いたと思ったら、まだ知らない山の頂が遠くにずらーと見えるじゃないですか。あぁ登りてぇな……そんな感じですね(笑)」
企画者の立てた「俳優として大切にしているもの」の問いにサラリと答えつつ、自分にとっての演劇の魅力を語る小菅の居住まいは、かつて彼の人生に転換点を作った、流れる雲のように飄々として見える(電話越しだが)。根を張ることと変わり続けること。真逆の指針を手放さない、欲張りな俳優の先行きには、悠々たる道が拓けている。
取材日:2020年7月5日(日)/大堀久美子
Profile
KOSUGE Hiroshi●1981年生まれ、東京都出身。桜美林大学にて演劇活動を始め、フリーの役者としてジャンル・サイズ・環境を問わず、様々な場所で舞台に立ち続ける。2008年から、より深く密度の高い演劇体験を求めて第七劇場に所属。以降、所属俳優としてほとんどの作品に参加。2013年より三重県津市に活動拠点を移し、国内外で活躍する。
写真:第七劇場『かもめ』(作/アントン・チェーホフ 演出/鳴海康平)
三重県文化会館(2010)
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