あとがき


 大学を卒業して出版社に勤め、4年3か月で退社。その後、どこにも所属することなく個人で、いろいろなものごとや人を取材させていただき、編んだり書いたりの仕事を続けて来た。数えてみると今年が25年目だ。
 学生時代は舞台照明を主に、舞台の仕事をするサークルで活動しており、個人になってからの仕事の主題も自ずと舞台芸術が中心に。一つの契機は今企画の文中にも登場する、青森の劇団弘前劇場との出会い。以来、国内各地の劇集団や舞台芸術に強く惹かれるようになり、方々に出掛けては頼まれもしない取材・執筆を行うようになっていった。

 拠点は東京だが週末はあまり居らず、地域の劇の場を訪ねる。思えば常にふらふらと動き続けることで、定かなものが何もない自分の行く末に、何かしらの理由を見出そうとしていたのかも知れない。或いは、何時かは帰りたいと切望し続ける、現実にはない故郷を探している。そんな風に想うこともあった。そこに、この「状況」が訪れた。
 移動はおろか外出すら憚られる日々。多くの創作や上演が延期・中止にされ、当然それらにまつわる仕事は沙汰やみになり、お世話になっていた雑誌は休刊になった。
 人生初の失業状態に動揺する自分と、何かから解放されたように感じる自分。二つの「私」の狭間で停止した日常。そのぶん、今年は桜の花をいつもより入念に眺め、昼夜の空を見上げる時間も増えた、と思う。

 とはいえ、自ら立ち上がり動く気力はなかった私に、こふく劇場代表・永山智行氏から連絡があったのは五月初旬。ありがた過ぎるご依頼に飛びつき、長いような短いような不思議な半年が始まった。
 編集者・ライターを名乗っているが、いつの頃からか自分の仕事は「記録」だと思うようになっていた。20のインタビューは、そのことを噛み締め、自分自身に刻み直す時間だったと思う。
 立ち止まることを余儀なくされた「いま」、と永山氏が言うそこに、ご協力をいただいた20人と、その方々を支える近しい人々の座標を残すことができたならば勿怪の幸い。電話越しに共有した時間と、想いと、言葉を、至らぬことだらけの私に預けて下さった方々と、この機会を与えてくださった永山氏に、あらためて心よりの感謝を申し上げる。
 けれど、まだこれまでに出会いはしたものの、「記録」に至らぬ方や、ものやことがまだ山のように私にはあるのだ。この「記録」の続きを、いつの日か何処かでという夢想が頭をもたげるここ数日である。

大堀久美子(編集者、ライター。筆名:尾上そら)

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