2020年6月 林 久志

林久志

農業と演劇の共通項は「待つ」こと
林 久志 空間シアター アクセプ(青森県青森市)


 取材の電話が繋がり、名乗った瞬間に歌舞伎の大向うのような「待ってました!」という弾む声が返って来た。そこそこ長く取材者をやっているが、初めての体験だと思う。林 久志は筆者を地域演劇の深遠な世界へと導いてくれた、青森県の劇団「弘前劇場」=ヒロゲキの、活動後期を支えた俳優の一人だ。地域演劇に携わる人々は他に生業を持つことが多いが、彼も俳優であると同時に米と林檎をつくる農業従事者で、繁農期は農業に集中するという林家内部暗黙の了解の元、かれこれ16年以上演劇を続けている。
「友達がヒロゲキに入り、呼ばれて観た公演がどれも面白くて演劇に興味を持ったんです。その後、ヒロゲキの代表:長谷川孝治さんが芸術監督を務める青森県立美術館で、太宰治の『津軽』を舞台化する企画が立ち上がり出演を市民からも募ると。そのオーディションに合格したのが、演劇初体験です」
 『津軽』公演後、林は長谷川の誘いを受けて弘前劇場に入団。今は、そこで出会った仲間と立ち上げた、青森駅にほど近い場所にアトリエを構える「空間シアター アクセプ」が活動拠点だ。
「高校は野球部でライト・9番。“演劇をやる”と言った時、家族は反対はしなかったけど、わぁ(自分)がまたミョウなこと始めたと思ったみたいです(笑)。演劇って、稽古中は相手をしてくれる役者さんとのどんどん変わる関係が、本番はお客さんとの間で作られる空気がそれぞれ全く違ってワクワクする。その感覚を味わう楽しさは、初舞台から今までずっと変わりません」
 舞台で観る林 久志と電話を介して語る林 久志。オンとオフ(本番中よりは)、役と素ほどに違う状況のはずなのに、両者から受ける印象にほとんど齟齬がないことに驚く。
「舞台上でも素のことが多いんです。“役になり切る”とか全然できなくて(笑)、素のままで芝居に集中しているうちに深く没頭して気づいたら終わってる、みたいな。台詞や動き、必要なものを全部自分の中に入れてしまったら、あとは相手とのやりとりの中でそれらが自然に出て来るに任せるというか。ただその前に、相手が台詞を飛ばすとか急に鼻血を出すとか、何が起きても平気なくらいしっかりと、芝居に必要なことは全部自分の中に刻み込んでおかないといけないんですが」
 続けて「そういうところ、農業と似ているかも」と。
「農業って“待つ”のも仕事なんです。種を蒔き、苗を植え、草取りや剪定、施肥など世話をしたら収穫までじっと待つ。演劇も、台詞や段取りを入れた後に自分の身体や心に馴染むまで時間がかかるじゃないですか? その待ち時間が似ているなって、時々思います。稽古を何度も何度も繰り返すうちに、ふと“もう大丈夫だ”と思う瞬間がある。あとは本番を楽しむだけです」
 脳内に彼が演じているいくつかの舞台を再生しつつ、不意に得心したことがある。どんなに重い題材や、業深い人物を演じていても作品そのものから受けるものとは別に、いつも林 久志の劇中での佇まいはいつも潔く清々しいのだ。その理由は、必要十分な準備と心構えを経て舞台に立ち、一片の構えなくありのままの自分で相手役や観客に対峙するという、シンプルながらひどく質の高い役者体があるからだ、ということに。
 気張らず気取らず、超自然体の全身俳優。そんな林に「演劇作品づくりにおいて、俳優として一番大事にしていること」を訊くと、「難しいですよねぇ……色々あるんですが、一番は“役に添って我を出す”ってことかな」との答え。続くエピソードが秀逸だった。
「前に飲み会で行き会った、よく知らない酔った演出家に“我を出す役者はいらない。器に徹しない奴は役者になるな”と言われて、凄いイラッとしたことがあるんです。どんな芝居を作る人かも知らないけれど、役者を道具扱いするなんて! と、思わず言い返しそうになった瞬間、アクセプ代表の田邉(克彦)さんに止められたけど(笑)、一緒にやりたいとは思えないですね」
 林の言う「我」は作品ごと役ごとに変わるもので、単に我がが我ががと「自分を出す」のとは次元の違う、役に命を吹き込む行為だと筆者は解釈する。先の“素のままに演じること”とそれが対になり、混じり合うことであの、潔い俳優像が生まれるならば、どこに文句のつけようがあるだろう。
「ウイルスの蔓延で芝居ができなくなる日が来るなんて、想像もしてませんでした。中止になった公演はあるけれど、焦りより僕らが安心して芝居をつくれなければ、お客さんも安心して楽しめないという想いが強い。だから、急がず今は準備をしておこうかな、と」と、二つの“待つ”仕事を往還する俳優は言う。私たちもまた、林 久志の「素」と「我」にナマで相まみえるまで、しばし待つことを楽しもう。

取材日:2020年6月10日(水)/大堀久美子

Profile
HAYASHI Hisashi●1983年、青森県青森市生まれ。就農(米と林檎)と、ほぼ同時期に演劇を始める。「弘前劇場」を経て現在は「空間シアター アクセプ」に所属。農作業の忙しい4・5月、10・11月は公演に不参加となる。2児の父。

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写真:空間シアター アクセプ『つる割れた茎』(作・演出/田邉克彦)
   アクセプ新町スタジオ・ほか(2018)

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