見出し画像

過保護なソレ

すべての危険を取り除く必要ってあるのかな?
そんなにコドモって弱い存在なのか?


はじめに

こんにちは
今日も良い天気ですね。
危機管理能力低めの日比野です。

今回は、
コドモにとってどこまで危険で
どのくらいならコドモひとりで大丈夫なのだろうか

という
日比野の線引について
日比野の親切な人々について書こうかなと。


チビチャンたちの危険

ハイハイやつかまり立ち
歩きはじめ など
フラフラ〜っと動き始めると

「転ぶんじゃないか」
「頭ゴンってぶつけるんじゃないか」
とヒヤヒヤしますよね。

あと
階段から落ちたり
足がもつれて転んで顔面強打したり

そこで現れる救世主が
“見えざる手”
テーブルの角を守る
ヤバイってなる前にやめさせる
オトナの手だ。


日比野の線引

その“オトナの手”って必要なんですかね?
ほかにも
「危ないからダメ」
「やめなさい」
「こっちで静かに遊びなさい」
 などの言葉かけ。

日比野の思考では
そんな手も言葉かけもいらないかなって。

コドモはスポンジのような吸収力とよく耳にしますが
この場合は
適応外なのでしょうか?

何回かぶつけたり
転んだりしたほうが
痛いという感覚やそうなる状況
どのくらい攻めたらそうなるのか とか
自分で考えて模索して

我々が気づくころには
コドモ自身が未然に防ぐようになるのではないかと。

さすがに
ハサミやカッターなど
もしもの最悪の状況が最悪すぎるものは
できる限り触らないようにしていますが。
(それも段階に合わせて触ればいいと思っている)

転ぶ、ぶつける は
自分の体重分だけなので
そこまで危険ではないかなという認識です。

むしろ
体重が軽いうちにこそ転んでほしい。
大きくなってから1発目で大怪我するほうが怖い。

言葉かけに関しては
「危ない」「やめなさい」という割に
動こうとしないオトナが多いような…

はじめから予測できるものは
ダメというくらいなら
未然に置かなければよいのでは?
あらかじめ気づいていて
いざコドモがさわってから叱るのは
「???」ってコドモがならないのかな?

と思ったりもする。
全員がそうではないのは承知の上で、
身近にクチと行動が一致していないヒトがいるので。

ちょっとコドモ氏に対して
理不尽なオトナだなと思ったりしたのです。


守ってくれる手は必要

日比野がこんな感じなので
よく周囲のヒトが代わりに無言で角ガードをしてくださいます。

それに対しては
「ありがとうございます」と感謝です。

コドモへの気遣い
その方なりの愛を感じるからです。

一概にいらないと言いたいのではなく
過保護になりすぎなくても
コドモが考える余地危険を体験すること
そんな機会を
オトナの心配性まかせにすべて取り除くのは

案外
コドモからしたら
どってことないのに、そこまでしなくても

と思われてたりするんじゃないかと思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?