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【自信とは神事(かみごと)である】
自信がなくなる時がある。
これではならない、と自分を奮い立たせようにも、どうにもマイナスな事がふにぁ〜、ふにぁ〜と陽炎のように立ってきて、いかんいかん引っ張られるぞ、と頭(かぶり)を振る。
そんな事が続いた時、さて自信とはそもそもなんなのか。
自らを信じる。
人(おのれ)の言(げん)を信じると言っても、こんな不甲斐ない状況から脱せない時もある。
声に出して言ってみる。
「自信、自信、自信、じしん、じしん、…」
あっ!
“自信”って“かみごと”だ!
正確には“事神”になってしまうが、
《神事》!!!
そっか、自分を信じるということは、
内なる神を信じることなんだ。
内なる神=分け御霊である自分を信じること。
そして、信じる為には、自分に“約束した事”の為に動くこと。
動くことはすなわち、神様に対する神事(祭事)と一緒だ!
と閃いた。
おっかなびっくりだったり、
本当にいいのかな?と迷ったりするけれど、
やろうと決めたそれ全てが《神事》だとすれば、
おっかなかろうが、
迷おうが、
行動することが何よりも先決なのだ。
例えば伊勢神宮では毎日、神饌を天照大神様にお供えするけれど、そこに「本当に食べてくれるのかな?」は存在しない。
そして、1500年間続いてきた。
「自信がない」は、「浄らかな行為をしない」と宣言してしまっているようなものだ。
せっかく“やる”と決めたのだから、
神饌をお供えするつもりで、
神事(かみごと)にチャレンジしていくしかない、となった。
しなければ、神様がお腹を空かれてしまうではないか。
きっと、それが美味く(上手く)なくても、
神様は怒ったりしないだろうから。
神事を毎日捧げていれば、気付けば自信になっているだろう。
いつかどこかで神事を重ね自信にしている未来がある。
それが自分を信じる、ということなのかも、と。
自信=神事の結果、こじつけだろうがそれで行動へのGoサインが出るのがあれば、ヨシ!ということで。
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