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【イスラエルにて🇮🇱】

その日は朝から“何か”が起こるのは分かっていた。
それが“いつ”かは分からなかった。
10日ある旅程の中で、日々40℃を越すこの国の日差しに、耐えることが第一のミッションとなっていた。

この日も有名過ぎる場所をあちこち回りすぎて、少し食傷気味になっていた頃だった。
気が緩んでいたのかもしれない。

相変わらず、私は団体行動が苦手で、皆がローマ時代のまま残るその道にわぁっと集まっている中で、日陰でその様子を見ている時だった。

「あ、しまった。
このタイミングだったのか!」
焦った。
少しでも遅くなればまずい事になる。
何故そう思ったのかは分からない。

足が勝手に人だかりの方に動く。

2歩ほど行った瞬間、人の塊の中で、女の人がガクンと体を落としたのが感じられた。
彼女の周りの人が口々に「大丈夫?」と声を掛けている。
はたしてそれはAさんだった。

「早くしないと、戻って来れなくなる」

私は焦った。

私は近寄り、彼女の肩を抱いた。

青白いAさんに心配して触ろうとする人もいたが、「今、触られると混乱する」と直感で思い「触るな!」と叫びそうなところを「私がケアしますので」と周りの人に離れてもらった。
Aさんのお友達にも失礼とは分かりつつ、早く事態を収拾したかったので、先に行ってもらった。

「大丈夫ですよ。心配しないで。
もう終わったことです。
あなたになんの罪もない。
皆怖かったんです。
あなただけじゃない。
あなたは見捨てたわけではない。
あなた一人の罪ではない。
もう十分苦しみました。
もう十分です。
大丈夫、あなたを責めてはいない。
あの場にいた誰をも責めることはできない。
もう十分にあなたはあなたを責めたでしょ。
もうこれは過去です。
あなたはもうその肉体を去っていて、
この女(ひと)は別ものです。
この女の人生を生きさせてやって下さい。
もうあなたは苦しくないのですよ。」

私が語り掛けている相手は、
顔を隠すように頭から暗赤色のベールを被り、声を立てないためにベールの端を咥えていた。
建物の入り口の陰に隠れ、彼女が見たくない光景を目で追っている。
その姿はAさんの数千年前の姿だった。

「お許し下さい。お許し下さい。」
過呼吸になるほどの罪悪感と共に、彼女の心の声が聞こえてくる。

私は何度も語り掛けた。
「もう大丈夫。
今はその時代ではないんですよ。
苦しまなくていい。
苦しまなくていいんですよ。
あの方はあなたを恨んではいない。
お許しになっています。
あの時は致し方なかったのだと。」

涙を流しながら縋り付く彼女にお願いした。
「さあ、Aさんにこの体を返して上げて下さい。
もうあなたは亡くなっています。
ここにAさんを連れてきたことで、浄化されました。」

膝をついたままのAさんの肩を抱きながら語り掛けている私の背中を、ジリジリと中東の陽射しが焼いていく。

そして、Aさんなのに、今この肉体から離れてしまっているAさんに向かって語り掛けた。

「Aさん、ゆっくり動きましょう。
バスに戻るまでにあなたをこの肉体に戻します。
私に寄りかかっておいて下さい。
ちゃんとあなたを戻します。
だから、戻ってきて下さい。
焦らなくて大丈夫です。
ゆっくり呼吸をして、…ゆっくり。」

Aさんは「大丈夫、大丈夫」と繰り返していたが、真っ青な顔をこちらに向けることもできなかった。
「迷惑かけて、ごめんね」と繰り返す。
そんな事よりも目下の課題は、きっちりAさんをAさんの肉体に戻す事だった。

「一歩毎に現在に戻ってきますからね。」
彼女の耳に告げる。
敢えてゆっくり進むことで、しっかりと21世紀に戻って来させる。

やっとバスの入口に着いた。

もう大丈夫、と安心した。

入口の手すりにつかまりながら先程の場所を見返した。
もうそこにはAさんの残像はなかった。

一つお役目を果たせた。
ギラギラとした日差しの中、バスは次の目的地へとエンジンをかけた。

鶏鳴教会のビザンツ式の屋根が遠ざかっていった。

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