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【こんな風に世界を見ていた】
皆さんは世界をどう見ているだろか?
「この世の中は悲しみでいっぱいだ」
とか、
「愛で溢れてる」
とか
そういう見方ではなく。
この世界を全て《リアル》に感じているだろか?
実は私は「この世界は映画のセット」だとある年齢まで信じてた。
私の行動の全記録が録られていて、
寝耳に水で突然「カーーーット!」と声がかかった途端、渋谷のスクランブル交差点から見える《109》もセンター街の看板も全て書き割りで、
分解されてゴロゴロと倉庫へ運ばれていく。
交差点であんなに歩いていた人達は実はエキストラで、気付いたらいなくなっていて、あとは小道具さんや大道具さん、カメラさんなどが片付けを始めている。
あんなに着いていたはずのライトは、手元作業に必要な分しか残っておらず、あとはガランとした暗いスタジオ。
父に見える人も、
母に見える人も、
近所のおじさんもおばさんも、
保育園の友達も先生も、
ぜーーーーんいん《本物》ではなく、
私を査定する為の幻影で、
あとは裁きを待つだけ。
真空のような場所で、
誰も何もない場所で何かの《終わり》を待つのだ。
裁かれたくないから、
普段から逐一自分の行動をチェックし、
「間違いはない?」
と自分に聞きまくるのである。
裁く人はいわゆる《閻魔さま》
両親が当時としてはかなりの高齢出産だったのと、その上に明治生まれの祖父母がいたせいなのか、「嘘をついたら死んでから裁かれる」と固く信じていたきらいがある。
そして、細かい設定。
例えば、友達のお父さんは公務員で、だから公務員宿舎に住んでいて、友達には同じ小学校の2学年下に妹がいる。その妹は友達より積極的で、ませている。
例えば、商店街の本屋のおじさんは、立ち読みしている子がいると、わざと意地悪をする。
とかとか。
全部キャラ設定で本当は実在しないんだと思っていた。
バックグラウンドを設定されたたくさんのキャラが、私と関わった時に、私がどんな言動をするのかをチェックされているのだ。
例えば誰かが私に意地悪を言った時、私がどんな反応をするかを監視していて、一つ間違えると、真っ逆さまに地獄に落ちるようになっている。
そんな風に信じていた。
「だからこの人達はホログラムで、実体はないんだ」
(ホログラムや実体とか難しい言葉は出てこなくてもそんな風に思っていた、ということ)
「じゃあねぇ」とくぐる教室のドアの先は、本当は何もなくて、でも数秒後に通る時には精妙に切り貼りされていて、カメラがその前後を追う時はには、境目は分からないくらいなのだ。
私には分からせないようになっているのだ。
私にはそんな風に世界が見えていた。
セットの組まれたスタジオがこの世の中には無数にあって、それぞれの演者がリアルには関わることなく、各スタジオでおのおのの人生と思い込んでいる世界で《私》を演じている。
そう考えている私も実は実体がなくて、…。
そんな事ばかり考えて、考え始めると気持ち悪くなっていた。
さて、本当はこの《世界》はどうなっているのだろう?
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