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【「やばい」を使わないわけ】

完全に市民権を得てしまった「やばい」という言葉。
これを聡明な方々までお使いになっているのを聞くにつけ、なんともいたたまれない気分になる。

以前から、伯母がこの言葉を聞くと、
「あれは隠語であって、○○○が使う言葉なのよ。なのに、普通の人が使って。気分が悪い」
と言っていたので、私もそう思い避けてきた。

言葉は出来るだけ“美しい”モノを使いたい。

人はインテリアや身だしなみと言った視覚での“美しさ”は追求するが、“言葉”や“佇まい”といった自然とその人から醸し出される“品”に関してはどうも鈍感なような気がする。

玄関に飾る花の水は替えても、自分の中の水が濁ることには疎い。

“水”は良質な本を読むことで得られるのかもしれない。
もしくはレベルの高い芸術に触れることかもしれない。

しかし、その後に自身の中に積み上がっている“美しいモノ”を自身から発することには情熱を注がない。いや、無関心になってしまう。

あちこちから取り込んで熟成されているはずの宝を、なぜにぞんざいに扱うのか?
古新聞にチャチャっと包んで無造作に渡すように言葉を使う。

とても悲しいことだ。

その一つの表れが「やばい」

ブランドものをプレゼントすることには躍起だったり、身につけることには目を見開くのに、下品な言葉は平気で口から出す。

知らず知らずに使うこともあろうし、時代がということもある。そこは割り引くとしても、老若男女使う状況がかなり恐ろしい。

最近“引き寄せ”好きの人達が「アファメーション、アファメーション」と言うけれど、引き寄せたいことには神経を使うのに、引き寄せたくないことには無神経だ。

陰陽で言ったら、陰(引)の方が強い。

悪い言葉を使えばそれだけ悪い事も引き寄せる。

“引き寄せ”は何も“良い事”ばかりを引き寄せるのではない。その良い事は“あなたにとって”良い事であって、“良い”も“悪い”もないのだから。

アファメーションには気を付けられるのに、何故、「やばい」には気を付けないのか?

日本全国これだけ毎日「やばい」が連呼された結果、さあ、「やばい」結果が引き寄せられてしまった。
(あー、私の文章中にこんなに使ってしまったよ。キャンセルキャンセル)

そして、子育て中のお母さん達が「うるせえ、ババぁ❗️」にめくじらを立てるのに、ご自分の「やばい」には立てない。
親は背で見せないとならない存在ではなかったか?
子どものボキャブラリーの貧困さはそのまま我が身を振り返ることにはつながらないのか?

言葉は言霊。

それを知っている人でさえ、この始末だ。

私自身も身を引き締めて言葉を扱っていこうと思う。

そして、先程出した“品”は日頃の積み重ねからでしか表に出てこない螺鈿細工のようなものなのだ。


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