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辞めました

2019年3月、サラリーマンを辞めた。

1999年4月から始めてちょうど20年。
始めて、じゃないな。
始まって、だな。
そこに自分の意志が働いてはいないもの。

飲食店開業?
独立してフリーランス?
いまさら自分探しの旅?
サラリーマンを辞めた、のあとに続くのは、概ねこんな感じがセオリーのような気がするけど、そういう「前向きに進むための辞職」ってわけではなく。
2019年も11月も終わりそうな今でもいわゆる仕事はしていない。

僕が言ういわゆる仕事とは、主だった収入源に成り得る仕事のこと。
そういう仕事は今はしていない。
洗濯とか掃除とか食事の支度とか靴磨きとか、買い物とか荷物の受け取りとかアイロン掛けとか、そうすることで対価が発生することはない仕事をしている。
その他にクラウドワークスなんかで得た小遣い稼ぎの仕事もたまに。
あと、友達の事務所で発生する事務作業のお手伝いなんかもたまに。

これまでもいわゆる仕事をしない期間はあった。
最初は20代半ば、二度目は30代後半。
いずれの期間も次のいわゆる仕事を探す前提で動いていた。
最初の時はいわゆる仕事以外の選択肢は思いつかなかったし、二度目の時はなんとなく思いついていながらもそこから外れることの怖さが勝って再度いわゆる仕事に就いた。
三度目の今回はそうしなかった。

僕は生まれて43年とちょっとの間、一度でも仕事をしたいと思ったことがない。
鞭を打てばそこそこのレスポンスを返してくるなけなしの社会性がこの20年の原動力だった。
「仕事が楽しい」とか「やりがいがあって」とかよくある仕事観とは全く無縁のところで働くポーズを取っていたような感じ。
周りがみんなそうしているからという事なかれ思考ゆえなのか、幸か不幸か、仕事をしなければならないという気持ちがしたくないという気持ちを上回らなかったから続いてきた。
その義務感が年々薄れてきたんだ。
そこに来て20年というキリのいい期間、時代も令和に変わる。
こじつけにすら背中を押してもらって、それじゃもういいかなとなって今に至る。

経済的にも心理的にも、これでいいのだと言い切る自信はまだない。
にっちもさっちも行かなくなったら、またいわゆる仕事を探すかもしれない。
でも、いわゆる仕事をしていない今のほうが人を許しやすくなった。
あれがダメだ、こうあるべきだ、と負の感情に捉われることが少なくなった。
ぼんやりと続けていたことをやめたり、それまで考えたこともなかったことを始めたりもしている。
その状況に身を置いてみないとわからなかった自身の変化に気づいて嬉しく思うことが増えた。

そんな時期に仕事について自由に書く機会を得た。
のっけから仕事を辞めた話で甚だ恐縮ではあるけれど、通勤から帰宅までほぼPCとスマホとしか向き合っていなかった在職中に書くより、多少は躍動感のある内容になるんじゃないかな。

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