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前進(前身)

平成後期。平成20〜30年を綴っていきます。

10歳から20歳になるまでなので、この期間が私の全てとも言える。私らしさを形作るのは、この期間の出来事がほとんどでしょう。

さて、数多ある出来事の中から、ゲイとして何を綴ろうか。


中学高校と特に恋人も居らず、特に華やかさも持ち合わせずに過ごしてきましたが、前に書いた通りゲイとして人と交わることはいっちょまえにしてきました。
いっちょまえとは言えども狭い田舎の中学生なんて知れていて、しょうもない初体験から消費するような出会いを重ねてきました。
中には「心配しなくていいから俺に全てを預けてくれないか。」なんて言ってくださった方もいらっしゃいますが、世間知らずな私はそれを馬鹿にしたなとも思い出したり。

そんな私の初めての恋人は19の頃。地元を飛び出して一人、出会い系で会ってヤッて可愛がってくれた人に半ば依存する形で告白をしました。初めて会ってから2回目、彼の事なんて何も知らないけれど、愛にも人にも飢えていたからと記憶しています。
何かしら足りていないと人はトチ狂うようで、これでは私が馬鹿にした人と寸分変わらず、博打に打って出る愚かな人の仲間入りを果たしたわけです。
告白の返事はもらえず、落としてくれたキス1つに期待を寄せては会うことを繰り返していました。その彼に全てを賭けたりなんかして、泣き喚いては同情と愛着とを誘い、結果的には恋人という立場を手に入れ、作戦勝ち。

その頃、彼によく言っていた言葉は「初めてのお付き合いだから、もう少し夢を見させてよ。」
ほぼ赤の他人で義務も責任もないような恋人という立場は、私が夢見ていたような恋愛からはだいぶ遠かったなと度々思います。
私は彼とどこまでだって行きたかったけれど、彼は、地元を運転する時は座席の下に隠れて欲しいと告げてきました。俺らが知り合いとバッタリ会った時は、俺とは関係のない人のフリをしてと。
私はカミングアウトをするし結婚だって夢見るけれど、彼はクローズドに平穏な世界を愛していました。

家族でさえも価値観に相違があり、ルーツも文化も言葉さえも違う彼なら尚更。まずは人として受け入れ、それから擦り合わせていく必要があるんだなと今だからこそ理解できます。

デートの際、運転する彼の横で一人勝手に号泣した事があります。
姪の誕生日が来るからと本屋に付き合わされた日のことです。彼はひたすらプレゼントの絵本を選び、私はショッピングモール内をブラブラと。何の為に今ここにいるのか、なんて思いながらも、まあ勝手にしてようと虚勢を張って一人ブラブラと。
「お金さえかければ人を愛せている事になる、という考え方がまるで私の嫌いな父のようで、まさか私の好きな人がそういう人だったとは。」なんて勝手な言い分で隣で泣き、怒らせてしまいました。
姪というものは、責任も義務も、こちらからできる事も無いからこそ可愛がれる愛しい存在であるという事に気付くのは、もう少しして初めて私に姪が産まれてからでした。
今思えば、デートなのに私には目を向けてくれていない事に憤りを感じていたのかもしれませんが、面倒くさい私の心は、勝手に過去のトラウマと結びつけては心を大きく傾けて泣いていたのです。

私はのどかさを求めて海と山と田ばかりの土地に来たのに、島出身故か、違和感と息苦しさを感じるからと山が嫌いでした。胡散臭く観光地化された風土も、下品な大通りも、幾分か濃度の高い宗教も、閉鎖的な限界集落も、嘘くさい神話も、人の話ばかりする風潮も。どこも似たり寄ったりだけれども。
同じ日本なのに、より日本らしいこの土地は私の故郷とは遠くかけ離れているというショックと受け入れきれていない違和感を”嫌い”という感情に乗せていたのでしょう。
今でこそ慣れて良さが分かるようになりましたが、こんな事で苦しいと、度々彼に泣きついたりもしていました。
勝手でどうでもいい涙を流す私は、他人に期待を寄せていたのでしょうね。
彼は家族ではなく、より他人に近い恋人という存在なのだから、こんな事を共感してくれるはずもなく。それはまさしく感性と価値観の差であり、言葉にできないのであれば伝わりはしない。彼を随分と困らせていたと思います。

性生活に関してもこうして揉める事は多くありました。

この恋愛で知ることができた事といえば、人の気持ちは移ろいやすいということ。私自身、他所に目がいってしまったり、彼が全てじゃないからとこの関係を無下にしようとしたり。結局はお互いに満身創痍、傷付け合い疲れ果ててグズグズになってしまいました。
流れ弾を食らわせて、全く別の人を傷つけてしまったりもして。これは大きく後悔と反省。またどこかで会えたら謝りたいな。

具体的な話。
後になって分かったことは、元彼は結構ジャンキーな人で、この土地で割と有名な遊び人であること。それはスリルを求めてか依存か、特別になりたかったのか。そんなことはわからないけれど、私と恋人関係である間も遊び倒していたようです。直接的ではないけれど、遠巻きに謝ってきたりもしていたので良心と愛はちゃんとあったのでしょうね。
そういったことは言動の節々から薄々と感じており、だからこそ怖くて、私の知らない世界を知っている彼から離れきれなかったように思います。もちろん、お互いの愛ももったいなくて、申し訳なくて。
クズ男に引っかかると離れられないなんてのはよくある話でしょうか。もしも彼が私に一途な男だったら、つまらないと他所を向いていたかなとも考えてみたり。どちらにしても浮気はしていたのでしょうね。
要は私も大概クズな訳で、悔しいからと浮気に精を出したりと幼稚な駆け引きをしていました。
遂には、恋人がいると告げずに会った方を傷つけて「人のことを何だと思っているの?」と怒られてしまいました。

何だと思っているんだろう。そんな自己課題は次回に綴るとして、そんなこんなで9ヶ月に及ぶ幼い恋愛は終わりを迎えた訳でございます。
ゲロを吐いたりハグをしたり、泣いたり怒ったり謝ったり。最後はケンカ別れとなりましたが、経験も学びも楽しさも喜びも、満ち満ちた充実した大恋愛ができました。
今でこそ依存が強かっただけだと振り返りますが、ちょくちょくと思い返すことはあります。

燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」の帯の一文。

そして、樹木希林さんの言葉。
「結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメなの。物事の分別がついたらできないんだから。」

きっとあれほどにのめり込む恋愛はもうできない気がします。
もったいないけれど幸せのため、社会への適合のために無難な大人になろうとしているが故に。

「人は誰しも、一人で生きて一人で死ぬものである。」
–ヤコブセン

最高の恋愛をありがとう。そしてさようなら。
さようなら、あの頃の私。

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