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両親とゲイ

ちょいと遅刻。

平成初期、平成10年の前までだろうか。
相変わらず生まれていない私。
何を綴ろうか。


私を構成する大きなもので、そして語らずにはいられない両親。
逃げてきたけれど人生のほとんどを共に過ごし育ててもらった故に、否定したくても似てしまっている。お金や時間のルーズさ、感情の振れ方、そして甘く弱い私。

家族について別で語ったこともあるけれど、私は家族が苦手。去年はとうとう飛び出して、逃げて、遂には果てまで来てしまった。随分と愛しい果てである。私はここで故郷では得られなかった関わりを集めている。うまくいっているし、何よりも大切なもの。両親はここにはいない。
あの頃綴ったような感情も記憶もだいぶ薄れてしまったけれど、深層心理には染み付いているもので、未だに連絡を取ろうとすると不安になって躊躇してしまう。また新しく関係を築くとしても上手くはいかない気がする。親子という基盤はあまりにも強く、凝り固まってしまっている。

連絡はもう1年も取っていない。


そんな父と母は遅い見合いの結婚で、私たちを産んだのも遅く、同級生のご両親を見渡してもだいぶ歳がいっている。良いか悪いかそんなことはわからないけれど、だいぶ偏った教育を受けていると思う。彼らの価値観に遅い反抗期はとても激しかった。だから、もう連絡は取っていない。

母も父ももうじき定年の歳で、彼らが価値観を固める青春の頃はそれこそ平成元年の前だろうか。ポケベルの時代。
そんな彼らもきっとオカマやホモと嘲笑っていたのだろう。父は特に、言葉の節々に鈍いトゲを感じた。まさか、息子がそうだとは思わなかったのだろうか。

次に語るつもりだが、私は幼い頃から女々しくあったと思う。女々しくなんて、ただ女性的なだけなのにどうしてこうも鳥肌の立つような汚い印象をもたせるのだろうか。

そんな私が、そうであるという可能性を持たなかったのだろう。担任に気持ち悪いオカマだなんて言って、私はその言葉に傷ついたりしていた。
中年に足を踏み入れた(と自覚があるらしい)知人が、中年になると致し方のない事だろうと考えていたが、それでも、それでもである。それでも世界は変わっている。特に多様性を刷新していっている。


虐待を受けた人は知らず知らずのうちに同じことをすると聞く。そういう表現の仕方しか、愛し方しか知らないのだろう、私はそう考えているのだが、それでも。

姉とは程よい距離感を保って関係性が築けているのだが、2人で深く話すことといえば両親のヤバさしかない。恋バナよりも頻繁に話題に上がる。
お互い、負の連鎖は私たちで止めようねと誓いを交わす。努力を惜しむつもりはない。
姉は子を産み私は叔父になった。私は中学生の時に、絶対に子を設けることも育てることもしないと決めた。今では、愛し続けられる自信がないからと契約婚以外をしない、気がしている。ごめんね、嫌な表現を。

人生で一度だけ祖父の葬式に参加したけれど、それは茶番で母の実家の様子が伺えた。母の愛し方によく似た祖父母の育児の結果だった。

私の勝手な判断だけれども。

愛がなかったとは言わない。これまで問題とされることもなく無事に生きてこれたのだから。無事?はたして。
それなりの経験もさせてもらって、生まれ持ったものか経験によるものか、人に褒められるだけの、そして自信が持てるだけの頭と心と腕を持っている。それでも。

それでも、私は逃げるという道を選んだ。彼らから、過去から、苦しみから。面倒という感覚も、憧れがあってという事実も否定はしないが、私の大きな一歩は確実に後ろ向きな前への一歩だった。

たまに思い出すことは、あの空っぽの時間。そして冷たい汗。遂にはネグレクトだと罵り合う2人。きっと2人ともネグレクトだよ。


持論になるが、ゲイは、もしくは過去を抱えたゲイは父親を探す傾向にある。私自身がそうであるように、愛を、父性を、そして両親の愛を渇望しているのだろう。思春期真っ盛りの頃にはとうとう父とセックスをする夢を見た。気持ちは良かった。

理性が嫌悪感を纏わせながら拒むが、一度は父に発情したことがある。


そんな父母を捨てるにはあまりにも甘く未だに揺らぐが、人に零してはそれでも良いんじゃないと言ってもらっている。私にとって子供は生きてさえいれば100点だからと。あの言葉、忘れないよ。


父母が嫌いで、血の繋がりでさえ家族と同義ではなく、人の愛は歪んでいてズレていて、人の気持ちは変わりやすい。
しかし、そんな私も恋に恋をしたりする。人に、関係に恋もする。これは恋愛につながるものだろうか。愛だろうか。

だからこそ、愛し続ける努力をしあえる恋人を探している。結婚はしたい。

そんな私の恋愛観。浮気はしても良いよ。気が狂うほどに焦るけど。


次回でようやく産まれた頃でしょう。
やっと私を語ることができる。

皆さんの文章楽しませてもらってます。
泣けるほどに響く、切なく苦しい甘い話。


一気に書き上げたのでブレブレでしょうか。

そんな私と私の父母です。短絡的な思考。
両親が結婚した時代、平成初期。

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