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評価されることと私

今日は,仕事でちょっとしたことで敏感に反応してしまった自分の話をしてみようと思いますね。もう一つは,姪が先日高校入試の合格発表だったというので,自分の受験の頃をもう一度思い出してみました。きっと今の自分に繋がっているということもあると思いましたので…。

繊細さん…あるある?

今週もスタートしたばかりなんですが,きっとHSPあるあるなんでしょうね。ほんの少しのことなんだけど,トラックの止める位置の問題で,ずらすようにお願いされたことを,私の中で妙に失敗したこととして認識してしまい,ストレートに指摘されているわけでも無いのについ気になってしまって,何となくHSPの悪い特徴が出してしまった日でした。でも今日の場合は意識をして,別の話題での会話に持っていったり,自分の中で引っ張らない行動を取れたような気がします。

これは職場の入ったばかりの自分だったら完全に落ち込んでしまっているんだろうけど,何とか仕事を続けて9年目まで来ることが出来たからと言うのと,きっと私の年齢が41歳というのもあるんでしょうね。もうすっかりベテラン側の年齢になっているというのもあって,あまり強く言われなかったんでしょうね。後はそこに自分の精神年齢がついていけているかというテーマがあると思います。その部分にはとは,これからじっくり向き合っていくんでしょうね。

受験

姪が今回高校受験で,先日合格発表だったらしいです。無事に志望校に合格をしたようで,その点に関しては本人とは別に,裏で親戚共々ドキドキはしていましたね。口では「どちらに転んでもきっと良い方向に行くよ」と『人間万事塞翁が馬』みたいな心境になるんですが,やはり結果は気になりましたね(笑)どちらに転んでいても,進路が決まった時点で,まずは叔父としてお祝いを渡さなければと思っていた所です。

私自身の当時の高校入試を思い出すと,「受かる夢」よりも「落ちる怖さ」が強く,志望校は推薦して貰える所に限定していた自分がいました。完全癖と見捨てられ不安が強かったのだろうと思いますが,中学の頃は推薦して貰えそうな努力はしていました。生徒会役員に立候補したり,学級委員になったりしていました。こんな自分が自分で嫌いでした。

ただ,後に人生を重ねていく上で,結局は受験というものにしっかり向き合うことになる人生になっていることを知らされることになりました。

まずは「就職試験」。

次に「転職活動」。

そして「結婚離婚問題」。

最後に「婚活」。

人に合否をきめて貰うということを間違ってしまいますと,合格することがゴールになってしまうと思うんですね。だから,その後に目標を見失ってしまう機会が多々ありました。そして挫折。何せベースが見捨てられ不安なので,注目を浴びなくなった時点で方向喪失感に襲われたんです。

これは,例え受験に失敗したとしても,本当に受けたい学校を,本当にやってみたい夢に向かって進路選択をして,そこに向かって行く必要があったんじゃ無かったのかと思いました。そんなことに気付かされたのが,28歳の時に患った鬱病です。この時は私の中では生きている価値が無いと本気で思いました。

私は20歳の時に購入した包丁持参で祖父の家に行き,祖父祖母の前で「俺はこれ以上期待に応えることは出来ないです。そして,自分で自分に決着出来る勇気も無い人間です。刺して頂けませんか。」と涙を流して頼みに行ったことがありました。祖母は泣いていましたが,祖父は私の気持ちを全く共感してはくれませんでした。祖父自身の苦労話を話して,私は甘いという話を聞かされて返された。

28歳の頃は,祖父には頼まなかった。自身で拳で頭を何度も殴りつける。そして,そんな自分を許すことが出来ずにベットに頭を強打させる。それを繰り返す。それには,別室にいた母親が異常を察知したらしく,止めさせられた。その時の私は,相撲に例えると土俵際に立たされている状況から,土俵の外に出てしまいたい気持ちだったと思います。

その時に,母親の職場仲間の繋がりの繋がりで佐々木先生を紹介して頂いたようです。私は第1志望は「生きたい」「幸せになりたい」とそんな思いは密かに残っていたと思います。とても怖かったんですが,思い切ってカウンセリングの扉を叩きました。そこで,私の祖父や叔父と同じように,先生の素晴らしい功績を聞かされ,お前も同じように頑張れと聞かされて返されるような思いもありましたが,全く違ったんですね。

勿論,病状は病状として考えた上で,会社を休むことを薦めてくれました。そこで3ヶ月休職。この3ヶ月は生きた心地のしない3ヶ月でしたが,今になって思うと大きな3ヶ月だったように思います。当時は家に居ても「誰に何を言われているのか」「仕事に行って迷惑を掛けないように」そんなことばかりして本当に生きた心地がしなかったです。それでも佐々木先生にカウンセリングをして貰っていたので微かな希望の光のようなものを感じていました。

それからの30代は,佐々木先生が味方に居てくださるので,色々とチャレンジ出来る自分がいました。私の親,親戚には無い考え方で,佐々木先生のノウハウを取り入れたいと思って色々と勉強しようと思いました。それから福大進学という目標が見つかったんですよね。目標が見つかると努力出来るもので,今では考えられないくらい図書館の学習室を申請して借りて,休みの時は別の町の学習室を借りて,小論文に勉強をしていました。不思議と受験日が決まっていると努力出来たんですね。

そして姪同様,私の中の本当の受験を経験することになりました。結果としては70点弱位の出来だったと思いますが,受験は合格することが出来ました。私の中では,後に同期の学生には全く共感して貰えませんでしたが,「これで人生が変わる」って本気で思っていました(笑)

改めて思うこと

「自分を直面化する」。このことから私が15歳から28歳までの13年間避けて来たんだと思います。夢はありました。但し,成功すること以上に,失敗するリスクを考えてしまうと,無難な方向を選択しようと思っている自分がいるんです。しかし,面白いことに私が思っている無難な方向も,近くに居た当時の親友などの中では,無難では無かったようです。

それは転職を繰り返すからです。無難に生きるという事を自分の中での無意識では抵抗していたようですね。何をしても上手く行かない。そもそも,私の中でその日が笑えて仕事が終わったとしても,後から「これで良かったのかな」「本当の私って」そんなことを思わされる日が多くあったんです。

かなり長い時間がかかりましたが,自分の中で少しずつ強くなって来たのでしょうか。40歳を過ぎてからは《自分軸》を第一に考えようと思うようになりました。今まで友人だと思ってきた人も,本当に必要だった友人を1人残して全て連絡をしないようにしました。悲しいような話なんですけど,私にとっては凄く生きた心地のする自分になれたと思います。

まとめ

高校入試は,私にとっても思い出ですけど,姪はしっかり一般受験をして合格を得たので立派だと思います。私は尊敬しますね。私は進路から逃げていた。「進路から逃げる」言葉に置き換えると分かりやすいですが,未来に向かっていきていくのに,人にひいて貰っていたレールだけでは,満足もいくわけないし,迷うに決まっていると思います。

それが40歳を過ぎてからは,自分のやりたいことにエネルギーを注ごうと思って,それが疲れることであっても,自分を生きているような充足感に満ち溢れる思いがあるんです。それが私の主催している『フレンド』なんです。

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