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父親のエッセンス~交流会番外編~

3月8日


思い出してみると昨日は父親の誕生日だった。「思い出してみると」と先に書いているのは,21年前に両親は離婚していることもあり,そして昨年3月に亡くなっているので,もう今になっては過去の記憶にしかならない。ただ亡くなった後,引き取りの件,遺産の件でも嫌な思いもした為,その辺を自分なりにどんな意味があったのは今回は振り返る日にした。



だらしなさ


当時から私は繊細なタイプだった。その頃は勿論HSPの存在は知らない。対して父親は全く逆のタイプだった。酒にだらしない,お金にだらしない,一言で片付けるとだらしないという言葉がピッタリな父親だった。そして母親は我慢するタイプで世話好きな方だったのだろう。毎日喧嘩をしては子供の為にと我慢をしているような家庭だったと思う。



思い出

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小学校の頃,福島県にプロ野球がやってきた時,私は父親の影響で大の阪神ファン。当時は「ダメ虎」などと言われ,万年最下位のチームだった。しかし,中学校の頃だったかな。父親は仕事を休んでくれて,私をプロ野球に連れて行ってくれたことがあった。「横浜大洋対阪神」。当時「亀山フィーバー」で「00番」のユニフォームに憧れていた時だった。

私は中学の部活をプロ野球の感想文を書いてこいと課題を与えられたが休み,プロ野球を観に連れて行って貰った。スターティングメンバーが発表されてドキドキワクワクしているその時に,天のイタズラで突然のゲリラ豪雨。しばらくの間中断していたが,試合前中止が発表された。私はとてもショックだった。しかし,阪神の選手の出待ちをしにバス前で立っていると,父親の姿が無くなっている。

まさか…。父親は規制線をくぐって亀山選手の目の前で写真を撮っている。私は嬉しさよりもルール違反をしている父親が捕まってしまうのでは無いかという恐怖心の方が強かった。ただ父親本人は全く気にしていない様子で,警備員に適当に応対して戻ってきた。この記憶は私には鮮明に残っている。私のビビリはコンプレックスになっているので,その部分だけは取り入れたいと今でも思っているのだ。



借金と親戚関係に悩む日々


ただ,他の部分ではだらしないという言葉が浮かんできてしまう父親だった。ギャンブルでのサラ金からの借金は12年間離婚するまで,周囲にバレないように生きてきた。父親に対する批判は,息子で長男である私に降り掛かってきた。親戚関係は私を叱責する為だけの関係のように思っていた。それをノーガードで全て受け止めてきたせいで,すっかり親戚関係に関しては全くの無気力になっていた。支配と服従である。


親戚関係を絶つ


物理的には私が20歳の時に両親は離婚しているのだが,親戚関係は33歳の頃まで続いていたので,精神は崩壊していたように思う。ただ,カウンセラーの佐々木先生からに守ってもらっているというのもあって,思い切って親戚関係を絶つことにした。どんなに脅かされても相手にしないことにした。それが今の自分を形成している。初めて自分軸で生きているように思えた。

昨年亡くなるまでに,何度か金を貸して欲しいという電話は掛かってきた。職場にも何回も掛かってくるので,上司に「父親から連絡をきた時は,本人から繋がないでと言われているので…。」と言って貰うことにした。それでも「父親でもなんでダメなんだ」と食って掛かられたと後から聞いた。借金の返済におそらく父親も生きた心地がしなかったんだろう。

そのまま借金を残したまま亡くなった。私は複雑な心境だった。「これで本人も借金に悩まないで済むのでは」と思う自分。そして「私自身も父親に金の件で迷惑を掛けられないで済む」そんな思い。ただ「自分の父親としてどうだったかな」と自責の念も湧いてきた。ただそんなことに浸る間も無く,市の委託されている弁護士から遺産相続の件で話をされた。



遺産相続


現在分かっている限りで借金200万。その他に住んでいたアパートのクリーニング代,携帯電話の滞納料金,家賃の滞納料金を私に支払って欲しいと言ってきた。頭に来て拒否をしたのだが,相手は弁護士なので,あの手この手でこちらに払わせようとしてくる。こちらもストレスを溜める毎日。やっとの事で拒否の申請が通ったが,それまでに半年以上は掛かった。



改めて自分にとっての父親とは


さて散々父親の悪口を書いたが,こんなことをカミングアウト出来るようになったのは,自我が成長したからだと思っている。なので,この父親の存在は,今は必要なプロセスだったのでは無いかという思いに行きたった。それまでは,結果重視で結果を出すために,いろんな策を講じて生きてきた。そして,都合の悪いことは隠してきた。隠す為に嘘をついてきた。結果が28歳の時に精神崩壊,鬱病を患うことになった。

始めは父親のせいにしておけば良いと思っていたが,今になってみては父親のテキトーな部分からも少しは学ぶこともあるように思う。40歳からは1人で好きなアーティストのライブに参加し,サインや写真をお願いしたり,お笑い芸人にも,同様にサインと写真をお願いしたり,結構楽しさを優先した生き方が出来るようになってきた。

正直,まだまだ父親を取り込みたいとは思っていないが(笑),厳格な親戚関係を思うと父親の方が余程学べることがある。来月で42歳になる。バツイチ男性。結婚に関しては正直焦ってしまっていた私。同じような嫌な思いを経験させられる。そこも自分なりに分析すると結果重視の考えが邪魔しているように感じた。



父親のエッセンス


確かに結果は全く無視という訳にはいかないだろう。ただ結果だけを求めている人は,どこか窮屈で人間的魅力が欠けるように思う。私の親戚のように。私はこれからどんな人生を送っていきたいのか。そんなことを思っていると,テキトーな父親の少しだけ父親のエッセンスを2,3滴は垂らしても良いのではないかと思った。

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