人生で二度目の恋

 宝塚の初恋は大空祐飛さんだった。中学2年生。親の契約していたwowowでたまたま彼女の主演作品「クラシコ・イタリアーノ」が流れた。
 宝塚の人か。スーツめっちゃ似合っとるけど意外と美人じゃないし、歌も微妙やな。てか化粧濃すぎて主役以外誰が誰かわからんわ。 
 風呂上りに頭を乾かしながらそう思って眺めた。
 

 成り上がりの社長がさらなる野心をもって、一緒にやってきた盟友や師匠と決別するが、ライバルに陥れられ、故郷で見つけた小さな幸せに落ち着く。どこかで聞いたことがある話のような気もしたが、設定が外国なのに演じているのは日本人の男装した女性なのが興味を引いた。ドラマや映画のリアリティとは違う次元にあり、しかし奇妙に成立している。人間関係をとりまく感情のやり取り、特に社長と盟友の場面は別れの痛みと苦さが、社長と師匠の場面では人情の暖かみが際立つ。終盤には性別も人種も越えて演じていることに何の違和感も感じなかった。ただただ主役の彼の胸の詰まるような孤独に共感する自分に驚いて、幕が下りた。実在の一人の人生をずっと追ってきたような不思議な実感がある。社長役を演じた彼女の芝居をもっと見たいと思った。

 宝塚という文化の一切を知らず、彼女の芸名すらおぼつかないまま、彼女のことで頭がいっぱいになる日常が始まった。その時すでに彼女は退団しており、外の世界で活躍を始めたところだと、彼女を追ったドキュメントで知った。宝塚は100周年を迎えた年であり、OGの露出も多かったので、その一環だったかもしれない。素の彼女もやっぱり素敵な人で、どちらに先に出会っていたとしても私は彼女が気になっていたのではないかという、しょうもないifを考えてしまうぐらいだった。今でもインタビューに答える聡明さ、的確さに毎回舌を巻く。彼女の答えは常に理路整然としており、インタビュアーの答えてほしいことを察しながら、予想外の驚きを加えることや独自の言葉選びを怠らない。なおかつ、彼女にとってはそれらが非常に自然なことのようだ。とにかく彼女がすでに退団していることは私に何の歯止めもかけなかった。むしろ彼女の複雑な宝塚人生のラストが決まっていることにほっとするような気さえしながら、彼女の過去を知ろうと宝塚にのめりこんだ。何かに追い立てられているわけではないのに、とにかく好きで好きで好きで知れば知るほどもっと好きになってしまう。初恋はひどく乱暴で性急だった。
 

 当時の私には、宝塚も東京も異国の地と言って過言ではないほど遠かった。そもそも私の周囲には定期的に観劇に行くような文化的レベルの人がいなかった。映画にすら年に一度行けたら本当にありがたかった。なにしろ車がないと身動きの取れない田舎で、県に一つしかない映画館まで行くには2時間かかる。劇場などもちろん見たこともないし、全国ツアー公演も来ない。すぐに観劇するのは絶望的に難しかった。そこで、図書館の書庫に眠っていた80年代、90年代の歌劇を引っ張り出してもらい、読破した。wowowの宝塚への招待、プルミエールにかじりついて見た。雑誌、ネットで宝塚関連のインタビュー記事が出たら、必ず読んだ。本当に何でもした。参考書を買いに行くと嘘をつき、1時間かかる隣町で歌劇を買った時の感激は言葉にならなかった。これが最新情報の詰まった歌劇かと思うと、息ができなくて泣いてしまった思い出がある。おかげで二カッと笑う壮さんの表紙は少し涙でふやけてしまった。
 

 それからもう6年がたった。大浦みずきさん、涼風真世さん、久世星佳さん、といった往年のスターから、蘭寿とむさん、壮一帆さん、未涼亜希さん、凰稀かなめさん、緒月遠麻さん、愛希れいかさん、咲妃みゆさんと最近のスターにいたるまで多くのスターに出会い、宝塚をゆるゆると愛し続けてきた。人には受け取り方によって多様な魅力があることを知り、様々な作品によりスターを輝かせる演出家がいることを知り、人の成長には無限大の可能性があるすばらしさを知った。彼女たち一人一人の存在が私の人生の支えや起爆剤になってくれた。あきらめないで頑張ろう、今できなくても必ずできるようになる。あの祐飛さんですら若いころの公演の挨拶はよく迷子になってたじゃん。不器用でも続けることが大事なり、と思わせてくれているスターたちに心から感謝している。
 

 この6年で人を見るにも自分なりの基準ができたと思う。歌もダンスも芝居も好みというのはある。近年特に技術を重要視する人事が評価されてきた。一つだけ気をつけたいことがある。誰かの恋の邪魔をしたくないし、誰かを傷つけるために言葉を使いたくない。僭越ながらこうしてくれたら嬉しいという希望があれば本人に伝える。自分の言葉で他人を批判し、変えられるなどという思い上がりを露呈しないこと、それだけは肝に銘じていたい。
 

 望海風斗さんは近年よく作品を拝見してきたスターさんだ。確かな技術に支えられた感情のほとばしりに見ていて胸が熱くなる。望海さんは「天海さんもそんなことある?」のあたりから注目してきただけに今や立派になって…と感無量になってしまう。同時に、ああ宝塚を見始めたころに現役だった多くのスターさんが巣立っていってしまったんだと気づいてしまった。私も望海さんが卒業したらいつまで見続けられるかわからない。

 そう思っていた今日、二度目の恋に落ちてしまった。柚香光さんと華優希さんである。トップコンビかつ現役で贔屓ができたのは初めてであり、盆と正月が一緒に来たような騒ぎ。人生何があるかわからんなあ。実を言うと、今までトップコンビが心底必要だと思ったことはなかったというか…。スターのポジション争いに興味がなくて、いい作品を作ることだけに集中してほしいのが本音。主要メンバーが変わらないなら、あて書きで一作、二作やれば後はマンネリにならないように、トップも相手役も変えればいいのに、それなら、実力主義もスター主義も満足ではという気がしていた。しかし、ご贔屓を見てこんなにお似合いなら、この2人でいろいろ見てみたいと思う。そう、大切なのはお互いに似合っているかいないかに尽きる。本人同士がそう思っていて、周りから見てもそうであると、こんなにうれしいことはない。内実はギスギスしたカップル、夫婦だが対外的には適度に仲良さげにしているというのは現実にもあふれていて、しかもよく見るとわかってしまうものだ。舞台上でも同じであり、お芝居では隠せてもレビューやデュエットなどで見えてしまうと辛くなる。また、トップコンビのお互いへの感情は師弟愛であったり、尊敬、友情であることがほとんどだと思う。舞台を下りた時の関係性からしてそれは当然であるし、いろんな形のコンビがあった方が宝塚は面白くなると思う。

 私が言えるのはなぜ柚香さんと華ちゃんのコンビが私にとって特別なのかということである。彼女たちは私自身がそうありたいと望む恋愛関係を表現してくれていると思うからだ。尊敬や同志としての向上心と共に持ち合わせてほしい、狂気にも近い相手への情熱が彼女たちにはあると思う。損得勘定を一切抜きにして相手を自分よりも大切に思う、息の詰まるような感情だ。相手を失ったら自分は死ぬよりつらいと感じてしまうような。これは私の人生経験が浅いからかもしれないが、私はまだ心底自分より大切な相手に恋愛以外の関係性で出会ったことがない。友情や尊敬では極限状態で自分か相手のどちらかしか生き残れないとなると、どうしても理性が残り、自分のほうを守ってしまうだろう。ご贔屓2人の間には相手を自分より大切な相手として守りたい、守らねば自分も生きてはいけぬという切羽詰まった思いを感じる。非常に勝手な解釈であり、これからも更新されていくには違いないが、一つの側面として、トップコンビとは現実に存在しえない無償の愛を体現してくれる存在である。私としては、そう思わせてくれたことで初めてトップコンビの意義が理解できたことに感謝している。

 じっくりと宝塚人生二度目の恋を味わいたい。



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