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この上なく幸せなのに悲しいし、こわい

母の命があと何ヶ月、何週間だろうかと思うと、呼吸が止まったようになる。

母の命がそう長くないことは、家族の中で一番冷徹な自分が、とっくに自覚していることだった。
それなのに、大学病院での治療が終了し、自宅で緩和ケアを行うことになった母が、日に日に弱るのを見聞きして、すっかり心がしぼんでいる。

この上なく幸せなのは、私には夫と息子と、娘がいて、とても幸せであるということ。
遠くない未来に起こるかもしれない怖ろしいあれこれを想像すると(この秋の異常に高い気温とか、突風とかに恐怖を煽られている)こわくて仕方がないけれど、小・中学生のこどもたちの傍にいられるかもしれないことは唯一救いだと思う。でもこわい。この話はいったん置いておく。

毎日、こども(特に娘)の顔を見ては、幸せをかみしめる。

一方で、母が今こうしている間にも痛みに耐えていると思うと、胸がつぶれそうだ。
父は、買い物でスーパーに行くとき以外は片時も母の傍を離れず、深夜も痛みで眠れない母の首や腕をさすっているそうだ。

今は週に1度程度、高校のキャリア教育の授業があるだけなので、それ以外の仕事はしばらくしないことにした。
仕事をしている方がずっと気楽だし、健康である感じがするけれど、いつか母は旅立ってしまう。

先週の土曜日、母の姉二人が遠方からやってきた。
(そしてその前日、電話で母と私とで思いの丈をぶつけて、わんわん泣いた)

母は、笑顔こそなかったけれど、いつもよりも沢山喋っていたし、何より父がハイテンションだった。(良いのか悪いのか分からないが、きっと良いことだろう)
私は、母を大切に思う人たちと共に少しの時間を過ごせて、心があたたかくなった。

他人事として考えるくらいに何歩も引いて眺めてみると、命のバトンを繋いで順番にこの世の役割を終えていくということは、とても幸せなことだと感じる。

母の痛みを理解できないことに苦しむ。
母の想いを理解できないことも、想像が及ばないことも、情けなく思う。

私は二度の産後を、1ケ月間実家で過ごした。
深夜の授乳やおむつ替えの時に、たまに母が起きてきて息子や娘を抱いてくれたときのことを急に思い出した。

明日も、実家に行くことになった。
ひじきの煮物と、鶏肉と魚の料理を作って持っていこう。
そして、母の爪を磨きたいなと思う。