見出し画像

中秋の名月。母の病気と私の精神状態

7月?8月?頃から、なんだか混沌とした迷路みたいなところに自分がいて(内的に、という意味です)いろいろなことがスムーズにいかなくてモヤモヤしています。徒然なるままに、書いてみます。

昨日は中秋の名月で、夕方に娘を連れて急遽母に会いに行きました。
母の癌は骨に転移し、肝臓の癌も随分進行しているようで、最近は痛みもひどく、抗がん剤の影響で気分が悪く、食事もあまりとれなくなってきました。
元々やせ型だった母の体重は既に36~37㎏まで落ちました。脳には影響が出ていなくて、体調がましな日は、電話口で長々と話をします。その語り口は元気だったころとほとんど変わりません。

私がモヤモヤしだした時期は、やっぱり母の体調が悪化した時期と重なっています。これだと、うまくいかなさを母のせいにしているみたい。

先日の通院時に、緩和ケアのできる病院をいくつか紹介されたそうで、主治医の先生からは「効果を出せなくて申し訳ない」と言われたそうです。
父と母は緩和ケアの話を聴いて、想像よりも悲壮感が薄らいだそうで、それは良かったなと思いました。

父は、母のために肉じゃがを作ったり、掃除をしたり、以前とは別人のようにテキパキと働いています。
私が将来病気になったときに、夫が父のように献身的にサポートをしてくれるだろうか… 仮にしてくれたとしても、自分はそれを有難く受け取れないような気がします。

一週間、痛みでほとんど動けず、病院へ出かける時には車いすをレンタルして向かったという母は、昨日は体調が良かったようで、笑顔で私と娘を迎えてくれました。

ほんの1時間ちょっとでしたが、こうして顔を見にいける今という時間は、たぶん、とても尊いものだと思います。

車で1時間半かかる実家までの道中、途中で展望台に寄りました。
雲一つない快晴で、綺麗な夕日が見れるかなと思って。
再入場ができたので、帰りも立ち寄り、今度は夜景と満月を鑑賞しました。

今年の春まで最上階にはレストランがありました。(今は、もうない)
息子が生まれて数カ月の頃に夫と喧嘩し、息子を連れて家を飛び出しこの展望台に来て、レストランで食事をしたことを思い出しました。息子を抱きしめながら(私にはこの子がいる…)と泣いたのは、もう13年も前です。
専業主婦から8年ぶりに職業人として復帰した初めての職場で、送別会が開かれたのもこの場所だと思い出しました。私と同じ派遣社員の方でしたが、送別会を開催して… 今思えばよい職場でした。

そんな思い出のレストランが閉店してしまったのはとても残念です。
時代だなぁ。

帰りの車で、娘がぺらぺらとおしゃべりをしていました。
「ボク、元気でしょ。笑って元気にしている方が、おばあちゃんが喜ぶから。おかあさんも、もっと笑った方が良いよ」
「ボクは、過去や今のことは考えない。先のことを考えるんだ。おばあちゃんの病気が治って、一緒にお出かけすることを考えたら楽しいでしょ」

… そうだねえ。と返事をしながら、娘の成長を嬉しく思いつつ、母の病気は治らないのだろうと思っている自分がいて、悲しかったです。

そうだ。もうずっと長いこと、心から笑っていない。
そんな自分をぶん殴ってやりたい。